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福岡地方裁判所小倉支部 昭和51年(ワ)781号 判決

目次

当事者の表示

主文

認容金額一覧表

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

二 請求の趣旨に対する答弁

第二 当事者の主張

一 請求原因

二 被告カネミ、同加藤の請求原因に対する認否

三 被告鐘化の請求原因に対する認否及び主張

四 被告国、同北九州市の請求原因に対する認否及び主張

第三 証拠関係

一 原告ら

二 被告カネミ、同加藤

三 被告鐘化

四 被告国、同北九州市

〈以上、事実省略〉

理由

第一 当事者

一 原告ら

二 被告カネミ

三 被告加藤

四 被告鐘化

第二 本件油症事件の発生及び経過の概要

第三 カネクロールについて

第四 カネクロール四〇〇のライスオイル中への漏出経路

第五 被告カネミの責任

第六 被告加藤の責任

第七 被告鐘化の責任

第八 被告国の責任

一 被告国の第一の責任について

二 被告国の第二の責任について

三 ダーク油事件について

第九 被告北九州市の責任

第一〇 被告ら相互間の責任関係

第一一 損害総論

一 油症の病像について

二 症状各論

第一二 損害各論

一 重症度について

二 加算要素について

三 原告らの個別損害について

四 弁護士費用

五 遅延損害金

第一三 結論

別紙〔一〕 原告ら目録

別紙〔二〕 原告ら訴訟代理人目録

別紙〔三〕 請求債権額一覧表

別紙〔四〕 油症患者被害一覧表(一)

(原告ら)

別紙〔四〕 油症患者被害一覧表(二)

(死亡患者)

別紙〔五〕 書証目録

別紙〔六〕 証人等目録

別紙〔七〕 油症患者認定一覧表(一)

(原告ら)

別紙〔七〕 油症患者認定一覧表(二)

(死亡患者)

〈以上、別紙省略〉

当事者の表示

原告 第一次 1

横地秀夫

外一六四名

原告 第二次 1

馬場耕治

外一一六名

原告 第三次 1

大脇敏雄

外一一名

原告 第四次 1

谷合正則

外三七名

原告 第五次 1

轟木環

外一〇名

原告ら訴訟代理人弁護士

内田茂雄

三浦久

高木健康

坂本洋太郎

外四一五名

被告

カネミ倉庫株式会社

右代表者代表取締役

加藤三之輔

被告

加藤三之輔

右両名訴訟代理人弁護士

尾山正義

同右

有村武久

同右

山崎辰雄

同右

清原雅彦

被告

鐘淵化学工業株式会社

右代表者代表取締役

大澤孝

右訴訟代理人弁護士

荻野益三郎

同右

白石健三

同右

蝶野喜代松

外九名

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右訴訟代理人

鹿内清三

外一〇名

被告

北九州市

右代表者市長

谷伍平

右訴訟代理人弁護士

松永初平

同右

身深正男

同右

二村正己

右訴訟代理人

佐藤正

外一二名

主文

一  被告カネミ倉庫株式会社、同加藤三之輔、同鐘淵化学工業株式会社は、各自原告らに対し、認容金額一覧表「合計金額」欄記載の各金員及びこれらに対する昭和五六年四月一三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告国、同北九州市に対する各請求及び被告カネミ倉庫株式会社、同加藤三之輔、同鐘淵化学工業株式会社に対するその余の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告カネミ倉庫株式会社、同加藤三之輔、同鐘淵化学工業株式会社との間に生じたものはこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は右被告らの負担とし、原告らと被告国、同北九州市との間に生じたものは原告らの負担とする。

四  この判決は第一項中、原告らのそれぞれにつき認容金額一覧表「仮執行許容額」欄記載の各金員に限り、仮に執行することができる。

認容金額一覧表

原告番号

原告氏名

弁護士費用以外の部分

弁護士費用(円)

合計金額(円)

仮執行許容額(円)

固有分(円)

相続分(円)

第一次 一

横地秀夫

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  二

横地道江

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃  三

横地宏志

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃  四

天本 旭

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃  五

池内富美子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃  六

野村壽子

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃  七

池内ひとみ

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  八

石松哲也

九、二〇〇、〇〇〇

六四〇、〇〇〇

九、八四〇、〇〇〇

二、〇〇〇、〇〇〇

〃  九

石松清子

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 一〇

石松 忠

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 一一

石松敬二

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 一二

出田龍彦

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 一三

出田ミドリ

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 一四

出田博子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一五

井上昭二

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

二、七〇〇、〇〇〇

〃 一六

岩下千枝子

五、八〇〇、〇〇〇

四〇〇、〇〇〇

六、二〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 一七

岩下なおみ

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一八

岩下由香

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 一九

岩谷光芳

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二〇

岩谷妃佐子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二一

梅田 林

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 二二

梅田ミサヲ

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二三

小川ナツエ

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二四

小川裕美子

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二五

金子治之助

五、二〇〇、〇〇〇

三六〇、〇〇〇

五、五六〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

〃 二六

金子ウメ子

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 二七

金子秀昭

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二八

古賀幸次郎

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 二九

古賀イツヱ

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三〇

古賀真一郎

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 三一

古賀孝子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

第一次 三二

古賀眞理

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三三

古賀次郎

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三四

古賀忠幸

八、一〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、六六〇、〇〇〇

一、六〇〇、〇〇〇

〃 三五

古賀チエコ

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 三六

古賀浩一

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三七

古賀 敦

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三八

児高ミヨコ

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三九

児高 博

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四〇

兒高利勝

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 四一

真田香世

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 四二

下石 昇

九、八〇〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

八六〇、〇〇〇

一三、一六〇、〇〇〇

二、六〇〇、〇〇〇

〃 四三

下石安江

七、五〇〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

一〇、七〇〇、〇〇〇

二、三〇〇、〇〇〇

〃 四四

下石正弘

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四五

下石由美子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四六

高山佳子

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 四七

田中妙子

五、三〇〇、〇〇〇

三七〇、〇〇〇

五、六七〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 四八

田中公朗

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 四九

土肥シヅエ

九、〇〇〇、〇〇〇

六三〇、〇〇〇

九、六三〇、〇〇〇

一、九〇〇、〇〇〇

〃 五〇

土肥憲一

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 五一

中山弘志

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 五二

長野正慶

七、八〇〇、〇〇〇

二、四〇〇、〇〇〇

七一〇、〇〇〇

一〇、九一〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 五四

長野慶吉

五、六〇〇、〇〇〇

四、八〇〇、〇〇〇

七二〇、〇〇〇

一一、一二〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 五五

荷宮直人

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 五六

荷宮昌子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 五七

野上正義

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

〃五八の一

中野千晴

一、七五〇、〇〇〇

一ニ〇、〇〇〇

一、八七〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃五八の二

羽根千歳

一、七五〇、〇〇〇

一二〇、〇〇〇

一、八七〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃五八の三

市野曜子

一、七五〇、〇〇〇

一二〇、〇〇〇

一、八七〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 五九

藤井 均

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 六〇

本間 実

九、九〇〇、〇〇〇

六九〇、〇〇〇

一〇、五九〇、〇〇〇

二、二〇〇、〇〇〇

〃 六一

久保地初子

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

一、一〇〇、〇〇〇

〃 六二

森本絹代

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 六三

荒亀スヱコ

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

〃 六四

有田武志

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 六五

有田健治

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

第一次 六六

有田勇次

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃 六七

田尻千代美

八、一〇〇、〇〇〇

五六〇、〇〇〇

八、六六〇、〇〇〇

四〇〇、〇〇〇

〃 六八

太田佐登美

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 六九

加生秀仁

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 七〇

神田康子

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 七一

神田浩一

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃 七二

神田真弓

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 七三

熊本憲二

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 七四

久保サチ子

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 七五

小松 亘

五、二〇〇、〇〇〇

三六〇、〇〇〇

五、五六〇、〇〇〇

〃七六の一

小松ヒロエ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

〃 七七

建井智郎

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、一〇〇、〇〇〇

〃 七八

谷川利憲

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 七九

谷川那子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 八〇

谷川公子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 八一

谷川泰子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 八二

谷口 功

九、八〇〇、〇〇〇

六八〇、〇〇〇

一〇、四八〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 八三

谷口春美

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 八四

谷口博明

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 八五

谷口大輔

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃 八六

谷口英樹

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃 八七

谷ロシズエ

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 八八

谷口多美子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 八九

藤川俊雄

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 九〇

藤川美由紀

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 九一

藤川 昇

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 九二

生田高夫

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 九三

伊東五惠

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 九四

伊東千代香

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 九五

伊東敬司

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 九六

伊東巨哉

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 九七

伊東文博

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 九八

岩根タヨ子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 九九

海野靜江

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃一〇〇

川村イツ子

七、九〇〇、〇〇〇

五五〇、〇〇〇

八、四五〇、〇〇〇

一、〇〇〇、〇〇〇

第一次一〇一

川村スミ

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃一〇二

柴田すゞよ

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一〇三

永沼京子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一〇四

稗田萬吾

五、五〇〇、〇〇〇

七一四、二八五

四三〇、〇〇〇

六、六四四、二八五

九〇〇、〇〇〇

〃一〇五

稗田スミヱ

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一〇六

稗田和之

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一〇七

稗田久子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一〇八の一

久保田ハリエ

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇八の二

楢原マキヨ

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇八の三

稗田好行

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇八の四

廣木ヤス子

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇八の五

森 イワ子

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇八の六

吉田タツ子

七一四、二八五

五〇、〇〇〇

七六四、二八五

三〇〇、〇〇〇

〃一〇九

稗田清人

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一一〇

藤島英彦

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一一一

馬田春美

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

一、一〇〇、〇〇〇

〃一一二

松田良二

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一一三

松田悦子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一一四

松田耕一

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一一五

三苫和子

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃一一六

三苫哲也

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一一七

森 俊雄

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一一八

森 俊市

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一一九

森山 魁

五、一〇〇、〇〇〇

三六〇、〇〇〇〇

五、五六〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

〃一二〇

森山チヨキ

七、一〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃一二一

森山 隆

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一二二

山口明美

五、八〇〇、〇〇〇

四〇〇、〇〇〇

六、二〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一二三

山口吉晴

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一二四

高木正志

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

一、六〇〇、〇〇〇

〃一二五

永井真二

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一二六

永井隆幸

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一二七

平島政幸

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一二八

平島政典

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一二九

磯部友一

五、三〇〇、〇〇〇

三七〇、〇〇〇

五、六七〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

〃一三〇

伊藤常藏

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

第一次一三一

岩見高士

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一三二

岩見美津子

五、五〇〇、〇〇〇

五八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一三三

亀本和一

五、〇〇〇、〇〇〇

五五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃一三四

國安アサ子

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃一三五

本田トキヨ

五、〇〇〇、〇〇〇

五五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃一三六

村岡春雄

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一三七

山根文一

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一三八

山根ツユ

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃一三九

吉井克祐

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一四〇

吉井綾子

五、八〇〇、〇〇〇

四〇〇、〇〇〇

六、二〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一四一

梅田 清

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃一四二

久保富三

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一四三

笹本吉彦

五、三〇〇、〇〇〇

五七〇、〇〇〇

五、六七〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃一四四

實田哲三

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、〇〇〇、〇〇〇

〃一四五

實田志津江

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃一四六

杉岡守男

五、五〇〇、〇〇〇

五八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一四七

原 博

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一四八

福島良英

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一四九

藤原 巖

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一五〇の一

掘川八枝子

一、六六六、六六六

一一〇、〇〇〇

一、七七六、六六六

〃一五〇の二

山本富美枝

一、一一一、一一一

七〇、〇〇〇

一、一八一、一一一

〃一五〇の三

掘川晃一

一、一一一、一一一

七〇、〇〇〇

一、一八一、一一一

〃一五〇の四

掘川悟志

一、一一一、一一一

七〇、〇〇〇

一、一八一、一一一

〃一五一

渡邊数彦

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

二〇〇、〇〇〇

〃一五二

和田靜夫

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一五三

山田博史

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

二〇〇、〇〇〇

〃一五四

衣笠登美子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃一五五

川原功伴

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

第二次 一

馬場耕治

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃  二

出田 茂

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃  三

上田ミツル

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

〃  四

谷頭 清

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃  五

小平民子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  六

黒田祥男

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃  七

大野蔦子

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃  八

大野利彦

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  九

大野輝正

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一〇

安藤勝磨

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 一一

安藤コズヱ

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 一二

西中大典

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 一三

吉田久枝

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 一四

秋武京一

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 一五

赤星安幸

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一六

赤星アツ子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一七

赤星弘之

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 一八

赤星節子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一九

赤星晴美

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二〇

金丸 昇

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 二一

金丸智江子

七、八〇〇、〇〇〇

六八五、七一四

五九〇、〇〇〇

九、〇七五、七一四

一、七〇〇、〇〇〇

〃 二二

金丸政章

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二三

金丸晃司

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二四

金丸園望

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二五

奥江靜太郎

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 二六

奥江文子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二七

小跨淳子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 二八

小跨千砂恵

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二九

浅野政義

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 三〇

浅野ヱミ子

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 三一

大城戸時正

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三二

大城戸紀?子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三三

大城戸正弘

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 三四

江本和洋

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、〇〇〇、〇〇〇

〃 三五

江本洋二

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 三六

西 傅七

九、八〇〇、〇〇〇

六八〇、〇〇〇

一〇、四八〇、〇〇〇

二、二〇〇、〇〇〇

〃 三七

西 キヨ子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三八

倉元諄士

七、九〇〇、〇〇〇

五五〇、〇〇〇

八、四五〇、〇〇〇

一、〇〇〇、〇〇〇

〃 三九

北本盡吾

五、六〇〇、〇〇〇

五九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

二〇〇、〇〇〇

〃 四〇

小野田末吉

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 四一

田村一雄

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

第二次 四二

田村美佐子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四三

田村和美

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四四

中島スヱ

九、〇〇〇、〇〇〇

六三〇、〇〇〇

九、六三〇、〇〇〇

一、九〇〇、〇〇〇

〃 四五

田村勝俊

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 四六

飯塚 博

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 四七

飯塚フサ子

七、二〇〇、〇〇〇

二、四〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 四八

荒牧光男

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 四九

上野美知子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 五〇

上野真奈美

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 五一

上野美穂

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 五二

上野利恵

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇、〇〇〇

〃 五三

中島康浩

九、三〇〇、〇〇〇

六五〇、〇〇〇

九、九五〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 五四

小澤カズ

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 五五

長谷部ふじ

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

一、一〇〇、〇〇〇

〃 五六

中山 篤

六八五、七一四

四〇、〇〇〇

七二五、七一四

二〇〇、〇〇〇

〃 五七

中山ユキヨ

七、二〇〇、〇〇〇

二、四〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 五八

中山百合子

九、六〇〇、〇〇〇

六八五、七一四

七二〇、〇〇〇

一一、〇〇五、七一四

二、四〇〇、〇〇〇

〃 五九

中山 徹

九、六〇〇、〇〇〇

六八五、七一四

七二〇、〇〇〇

一一、〇〇五、七一四

二、四〇〇、〇〇〇

〃 六〇

中山 寛

七、五〇〇、〇〇〇

六八五、七一四

五七〇、〇〇〇

八、七五五、七一四

一、一〇〇、〇〇〇

〃 六一

中山ヒサヨ

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 六二

中山広子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 六三

中山美子

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 六四

中山恒芳

七、六〇〇、〇〇〇

六八五、七一四

五八〇、〇〇〇

八、八六五、七一四

一、二〇〇、〇〇〇

〃 六五

牧野千代子

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

二、五〇〇、〇〇〇

〃 六六

松島正晴

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃 六七

藤川アキ

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、一〇〇、〇〇〇

〃 六八

田中熊夫

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 六九

花田小夜子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 七〇

白石 清

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 七一

温井保生

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 七二

原田ナツヱ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 七三

池見貢市

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 七四

池見昭子

九、五〇〇、〇〇〇

六六〇、〇〇〇

一〇、一六〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 七五

池見 繁

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃 七六

池見由佳

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

第二次 七七

三苫 壽

五、八〇〇、〇〇〇

四〇〇、〇〇〇

六、二〇〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 七八

堀之内和紀

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 七九

堀之内由美子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 八〇

堀之内靜子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 八一

中島秀雄

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 八二

中島倭子

五、五〇〇、〇〇〇

三八〇、〇〇〇

五、八八〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 八三

林 團一

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 八四

松原 勤

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 八五

松原美智子

五、〇〇〇、〇〇〇

三五〇、〇〇〇

五、三五〇、〇〇〇

〃 八六

松岡静代

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃八七の一

松本淑枝

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

四〇〇、〇〇〇

〃八七の二

松本政義

一、五五五、五五五

一〇〇、〇〇〇

一、六五五、五五五

三〇〇、〇〇〇

〃八七の三

松本芳之

一、五五五、五五五

一〇〇、〇〇〇

一、六五五、五五五

三〇〇、〇〇〇

〃八七の四

松本広司

一、五五五、五五五

一〇〇、〇〇〇

一、六五五、五五五

三〇〇、〇〇〇

〃 八八

向井健二郎

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 八九

赤木治敏

九、三〇〇、〇〇〇

六五〇、〇〇〇

九、九五〇、〇〇〇

二、〇〇〇、〇〇〇

〃 九〇

森元智徳

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 九一

高森 大

九、三〇〇、〇〇〇

六五〇、〇〇〇

九、九五〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 九二

岡田公夫

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 九三

丸橋史典

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 九四

河野安宣

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

一、六〇〇、〇〇〇

〃 九五

小林靜雄

七、九〇〇、〇〇〇

五五〇、〇〇〇

八、四五〇、〇〇〇

一、〇〇〇、〇〇〇

〃 九六

敷田圭吾

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 九七

大場聖治

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 九八

奥川隆明

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 九九

松下君江

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃一〇〇

白砂作一

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃一〇一

林 信夫

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃一〇二

林 謙次

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃一〇三

林 純治

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃一〇四

武生君子

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

八〇〇、〇〇〇

〃一〇五

武生直文

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

八〇〇、〇〇〇

〃一〇六

武生正文

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

八〇〇、〇〇〇

〃一〇七

高田靜子

二、三三三、三三三

一六〇、〇〇〇

二、四九三、三三三

八〇〇、〇〇〇

〃一〇八

高田 一

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

三〇〇、〇〇〇

第二次一〇九

高田了一

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

三〇〇、〇〇〇

〃一一〇

青山洋子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

三〇〇、〇〇〇

〃一一一

多賀谷暢子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

三〇〇、〇〇〇

〃一一二

鯨井惠子

九三三、三三三

六〇、〇〇〇

九九三、三三三

三〇〇、〇〇〇

〃一一三の一

高橋ユキ子

二、四〇〇、〇〇〇

一六〇、〇〇〇

二、五六〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃一一三の二

中田義行

二、四〇〇、〇〇〇

一六〇、〇〇〇

二、五六〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

第三次 一

大脇敏雄

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃  二

大脇博樹

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  三

大脇健二

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃  四

這越秀人

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃  五

這越知之

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  六

道脇留男

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃  七

道脇正子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  八

道脇信子

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃  九

前島 滿

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 一〇

前島 武

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 一一

前島 太

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一二

橋口雅彦

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

二〇〇、〇〇〇

第四次 一

谷合正則

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃  二

大井善兵衛

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  三

大井眞喜子

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃  四

大井徳幸

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  五

大井久美子

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

二、一〇〇、〇〇〇

〃  六

大井善隆

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  七

大井マシ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃  八

須田照藏

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

二、七〇〇、〇〇〇

〃  九

簗脇マツ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 一〇

川尻夏子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一一

柿山直四郎

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 一二

永尾和寿

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 一三

永尾 博

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 一四

吉村幸子

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 一五

鳥巣ソヨ

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 一六

道端光次郎

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

第四次 一七

荒木 淳

七、五〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

二、七〇〇、〇〇〇

〃 一八

出口朱美

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

三、四〇〇、〇〇〇

〃 一九

藤原 真

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二〇

橋本たき子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二一

宗 光枝

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二二

泉谷政子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二三

戸町久幸

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

二、七〇〇、〇〇〇

〃 二四

上川ユキ子

七、八〇〇、〇〇〇

五四〇、〇〇〇

八、三四〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 二五

上川長伸

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二六

七田浩二

五、六〇〇、〇〇〇

三九〇、〇〇〇

五、九九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃 二七

山﨑今日子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 二八

竃窄ミ子

九、〇〇〇、〇〇〇

六三〇、〇〇〇

九、六三〇、〇〇〇

一、九〇〇、〇〇〇

〃 二九

伊東昭典

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃三〇の一

渡辺リイ

九、二〇〇、〇〇〇

六四〇、〇〇〇

九、八四〇、〇〇〇

二、〇〇〇、〇〇〇

〃 三一

水谷エイ子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 三二

重田 豊

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

一、二〇〇、〇〇〇

〃 三三

重田スヱノ

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃 三四

中道 弘

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

九〇〇、〇〇〇

〃 三五

中垣貞子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三六

中垣良平

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三七

前野幸子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃 三八

細木加代子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

第五次 一

轟木 環

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  二

車 丁字

五、三〇〇、〇〇〇

三七〇、〇〇〇

五、六七〇、〇〇〇

一、九〇〇、〇〇〇

〃  三

田中實榮子

七、五〇〇、〇〇〇

五二〇、〇〇〇

八、〇二〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  四

森山みち子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

一、四〇〇、〇〇〇

〃  五

正岡美穂子

七、六〇〇、〇〇〇

五三〇、〇〇〇

八、一三〇、〇〇〇

二、七〇〇、〇〇〇

〃  六

山本 勇

七、二〇〇、〇〇〇

五〇〇、〇〇〇

七、七〇〇、〇〇〇

一、三〇〇、〇〇〇

〃  七

山本ツヤ子

五、二〇〇、〇〇〇

三六〇、〇〇〇

五、五六〇、〇〇〇

六〇〇、〇〇〇

〃  八

井形順吾

七、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、〇〇〇

七、四九〇、〇〇〇

七〇〇、〇〇〇

〃  九

平野チサト

七、三〇〇、〇〇〇

五一〇、〇〇〇

七、八一〇、〇〇〇

八〇〇、〇〇〇

〃 一〇

桒原 章

九、三〇〇、〇〇〇

六五〇、〇〇〇

九、九五〇、〇〇〇

一、五〇〇、〇〇〇

〃 一一

平手敏昭

九、六〇〇、〇〇〇

六七〇、〇〇〇

一〇、二七〇、〇〇〇

一、六〇〇、〇〇〇

合計

二、四八九、二八四、二七三

三七六、六〇〇、〇〇〇

事実《省略》

理由

(当事者ら提出の別紙〔五〕書証目録記載の書証のうち、成立に争いのある書証については、同目録「成立認定の証拠」欄記載の各証拠によりそれぞれの成立を認めることができる。したがつて以下書証を引用する場合には成立認定の理由を逐一記載することを省き、単に書証番号のみを記載することとする。)

第一  当事者

一  原告ら

別紙〔七〕油症患者認定一覧表(一)記載の原告ら及び同表(二)記載の死亡油症患者らがそれぞれ同表「認定年月日」欄記載の日ころに油症認定をうけた油症被害者であることは、〈証拠〉によりこれを認めることができる(右原告らが油症被害者であることについては、原告らと被告国、同北九州市との間では争いがない。)。

二  被告カネミ

被告カネミは昭和三六年に三和油脂株式会社より米糠精製の装置の導入を受け、以来米糠油を製造しカネミライスオイルの商品名で販売して現在に至つており、昭和四三年当時資本金五、〇〇〇万円で、その従業員は約四〇〇名であり、その製品油の販売は西日本一円にまたがつていた食品製造販売業者であつて、肩書地に本社及び本社工場(抽出、精製工場)を有するほか、広島市、大村市、松山市、多度津市にそれぞれ抽出工場を有していたことは、原告らと被告カネミ、同加藤、同国及び同北九州市との間では争いがなく、また被告鐘化において明らかに争わないところである。

三  被告加藤

被告加藤が被告カネミの代表取締役であることは、原告らと被告カネミ、同加藤、同国及び同北九州市との間では争いがなく、また被告鐘化において明らかに争わないところであり、被告加藤が昭和三六年四月より同四〇年一一月まで本社工場の工場長に従事していたことは、原告らと被告カネミ、同加藤との間では争いがなく、また被告国、同北九州市及び同鐘化において明らかに争わないところである。

四  被告鐘化

被告鐘化が油脂工業製品の製造、加工及び販売並びに無機、有機工業薬品の製造及び販売等を業とする化学企業であることについては、原告らと被告鐘化、同国及び同北九州市との間では争いがなく、被告カネミ、同加藤の明らかに争わないところであり、また被告鐘化が昭和二九年ころからPCBを製造し、これにカネクロールという商品名を付して販売してきたことは、原告らと被告鐘化との間では争いがなく、被告カネミ、同加藤、同国及び同北九州市の明らかに争わないところである。

第二  本件油症事件の発生及び経過の概要

一〈証拠〉によると、油症事件の概要について次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

1昭和四三年六月初旬ころより、九州大学医学部附属病院皮膚科に顔面の痤瘡様皮疹、顔面並びに足の浮腫、痛みを訴える数人の患者が訪れており、その患者らが従来食用していたヨーグルト及びライスオイルの摂取を中止したところ、爪の黒ずんだ着色がとれてきたこともあつて、九大皮膚科において本症がライスオイルの摂取と関係するのではないかとの疑いを持ち、その分析等に努力したが、はつきりした手掛りをつかむことはできなかつた。

その後同年一〇月三日、九州電力社員国武忠から大牟田保健所に対し、カネミライスオイルによると思われる奇病発生の届出と同人が使用したライスオイルの分析依頼がなされたことにより、翌四日福岡県衛生部は右奇病について知るところとなつた。

そして同年一〇月一〇日に至り、朝日新聞が「からだ中に吹出物」という見出しで右奇病の発生を報道し、翌一一日の各紙も一斎に右事件を報道したことから、痤瘡様皮疹等を訴える奇病の届出患者が福岡県を中心に、広島県、山口県、長崎県等の西日本全域に及んでいることが明らかとなり、その原因の解明が社会的に強く要望されるところとなつた。

2福岡県衛生部は、同月一一日県下各保健所及び被告北九州市に対して患者発生の状況を至急調査するよう指示するとともに、厚生省に奇病の発生を報告した。また被告北九州市衛生局では、同日県衛生部と打ち合わせの上、被告カネミに対し自主的にライスオイルの販売を中止するよう勧告するとともに、被告加藤らにより事情を聴取した。一方厚生省は福岡県に対し、原因、汚染経路等の究明及び被告カネミの行政指導について指示をした。

その後同月一四日、九大医学部、薬学部、福岡県衛生部、被告北九州市らの関係者による福岡県油症対策会議が開かれ、九大医学部を中心に本病の検討を行うこととし、その組織を「油症研究班」と呼び、九大附属病院長勝木司馬之助を班長に、また九大医学部教授樋口謙太郎、福岡県衛生部長下野修をそれぞれ副班長にすることが決定された。

翌一五日、被告北九州市は、市油症対策本部を設置し、またカネミライスオイルから砒素が検出された旨の報告があつたこと等から、被告カネミの立入調査をするとともに、食品衛生法四条、二二条を適用して、一カ月間の営業停止を命じた。

翌一六日、福岡県は、被告北九州市、福岡市、県の各保健所長、衛生課長らを集めて、油症対策連絡協議会を開催し、被告カネミ製造にかかるすべてのライスオイルの販売停止と使用禁止の措置をとるとともに、一般家庭で使用しないよう呼びかけることとなつた。右同日、厚生省は、全国衛生主管部長に対し、カネミライスオイルについて、食品衛生法四条四項により販売の停止及び移動禁止の行政措置をとること、また被告カネミ以外の米糠油製造業者について、米糠油の製造工程の点検、製品の収去検査を行うよう通達を出した。

そして同月一七日、厚生省は福岡市で油症対策関係各府県市打ち合わせ会議を開催し、また同月一九日同省に環境衛生局長を本部長とする米糠油中毒事件対策本部を設置して、同日第一回の打ち合わせ会議を開催した。さらに同日地方医務局長、国立病院長に対して、国立病院においても関係機関と十分な連携を保ち、その原因の究明及び的確迅速な診断と治療体制の確立をはかるよう通達を出した。

3昭和四三年一〇月一四日に組織された前記油症研究班は、同月一九日班の構成を拡充強化することとなり、臨床部会、疫学部会、分析専門部会を設け、医学部、薬学部のみならず、農学部や生産技術研究所等からも専門家の参加を求めることとなつた。そして臨床部会は油症の診断基準及び治療指針を作成し、それに基づいて県下の患者の実状を把握する、分析専門部会は原因不明のための化学的分析をする、疫学部会は広範な地域にわたる患者につき疫学的調査研究をする、ということになつた。

右に基づき臨床部会は、九大医学部教授樋口謙太郎を部会長として、同日油症診断基準(その内容は請求原因2(二)記載のとおり)及び治療指針を発表し、さらに同月二三日福岡県衛生部の要請により各地の医師及び保健所医師への油症講習会を開催した。また県下四地区に臨床部会の専門家を派遣し、実際の検診を行つて患者の実態を把握することに努めた。

4また疫学部会は九大医学部教授倉恒匡徳を部会長として、油症の原因究明のため、昭和四四年一月二〇日までに福岡県下で油症患者と診断された三二五名のすべてについて、疫学的研究方法により調査を行い、次の結論をまとめた。

すなわち

(一) 福岡県下の患者数は三二五名(一一二世帯)であり、性差はなく、四〇才未満が80.9%を占めた。また家族集積性がみられ、昭和四三年にほぼ全員が発症し、とくに六月から八月にかけて発症しているのが55.0%を占める。患者は北九州地区、田川・添田地区、福岡・粕屋地区に多い。

(二) 昭和四三年二月五、六日被告カネミ出荷の缶入油の追跡調査で、摂取したと思われる二六六名中一七〇名(63.9%)の患者が発生していた。

(三) 患者全員がカネミライスオイルを使用しており、缶入油使用患者一七〇名(52.3%)、ビン入油使用患者一五五名(47.7%)、であつた。缶入油使用患者の97.6%は二月五、六日出荷の缶を使用しており、ビン入油使用患者の92.3%は二月六日ないし一五日に出荷された油を摂取する可能性があつた(他は出荷日時不明)。

(四) 問題の時期の油をとつていない集団には患者は認められなかつた。

(五) 既往調査で、カネミライスオイルの摂取以外に油症の原因と考えられるものは見い出し得なかつた。

5一方分析専門部会は、九大薬学部長塚元久雄を部会長として、油症の原因物質を追求するため、患者が発症以来使用してきたカネミライスオイルの使用残油を入手し、その油の一般的性状について検討すると共に、毒性物質混入の有無を広範に検索した。

その結果、研究の初期に疑われた砒素あるいは種々の金属類、または有機塩素系農薬PCPなどの混入はすべて否定され、最終的にライスオイルの精製工程において使用されていた塩化ビフェニール(カネクロール)の大量混入の事実が、主としてガスクロマトグラフィーによる検索から明らかにされた。すなわち、患者の使用した缶入油の中に塩素として一、〇〇〇ないし一、五〇〇ppmの大量のPCBの混入が確認された(これはPCB含量として二、〇〇〇ないし三、〇〇〇ppm程度と推察される。)。また昭和四二年一〇月から同四三年一〇月にかけて出荷されたカネミビン入油については、二月上、中旬の製品にしばしばPCBの混入が認められ、続いて三月中旬付近にもその混入が散見されたが、それ以外は混入は認められなかつた。

さらに同部会は、油症の症状がその研究の時点においてもなお持続していることから、その原因が患者油中のPCBであるとすれば、現在も患者の体内に蓄積していることが推定されるとの観点から、九大附属病院皮膚科で採取された確認患者数名の脂肪組織、皮脂並びに九大附属病院保管の患者の死産児、久留米大病院保管の患者胎盤についてPCB成分含有の有無を検討し、その結果、患者の脂肪組織、皮脂、胎盤及び胎児(皮下脂肪)中には発症から数カ月経過した時点においても、なおPCB成分が明確に存在することが示された。

以上の事実を認めることができる。

前記4、5認定の油症研究班の調査結果及び弁論の全趣旨によれば、油症事件は、特定のカネミライスオイル(昭和四三年二月上、中旬に製造、出荷された製品)の経口摂取により生じたものであり、その原因物質は被告カネミが油脂精製工程のうち一工程である脱臭工程において熱媒体として使用していたPCB(カネクロール)であつて、これが右特定期間に製造、出荷されたライスオイルに混入したものであることが認められる。

二ところで、本件油症事件が発覚する以前の昭和四三年二月二〇日ころから三月上旬までの間、九州各県、山口県、四国等で鶏(ブロイラー)が奇病にかかり、食欲、活力を失い、呼吸困難にあえぎながら死亡する事故が続発し、死亡鶏には腹水、心臓水の増加、肝壊死、腎の尿細管拡張、下腹、皮下組織の浮腫等の所見が認められたこと、この奇病による被害羽数は約二〇〇万羽に達し、うち四〇万羽がへい死したこと、この奇病は林兼産業株式会社と東急エビス産業株式会社の生産した配合飼料によるものであつたが、両者はともにその原料の一つであるダーク油を被告カネミから購入していたのであり、その後の調査により右奇病の原因が右ダーク油によるものであることが判明したことは原告らと被告国、同北九州市との間では争いがなく、また甲第四三七号証に証人小華和忠の証言によると、本件油症事件が発覚して以後右ダーク油事件の原因が油症事件と同様ダーク油中に含まれていたカネクロール四〇〇によるものであることが明らかとなつた事実を認めることができる。

右ダーク油事件については、後に検討することとする。

第三  カネクロールについて

一1カネクロールとは、芳香族炭化水素の誘導体であるビフェニール(ベンゼン環が二個結合したもの)の塩素化合物である塩化ビフェニールについての被告鐘化の商品名であること、うちカネクロール四〇〇は二ないし七塩化ビフェニールの混合物で四塩化ビフェニールを主成分とするものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

そして甲第四三七号証によれば、塩化ビフェニールの化学構造は次のとおりであるところ、その異性体としては理論上二一〇種のものが考えられるが、実際にはそのうち約一〇二種が存在すること、カネクロールにはカネクロール二〇〇(二塩化ビフェニールを主とするもの)、同三〇〇(三塩化ビフェニールを主とするもの)、同四〇〇(四塩化ビフェニールを主とするもの)、同五〇〇(五塩化ビフェニールを主とするもの)、同六〇〇(六塩化ビフェニールを主とするもの)、同一〇〇〇(カネクロール五〇〇と三塩化ベンゼンの混合物)、同一三〇〇(カネクロール三〇〇と二塩化ベンゼン、四塩化ベンゼンの混合物)などの種類があることがそれぞれ認められる。

2次にPCBないしカネクロール四〇〇の一般的性質等についてみるに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(一) PCB一般の化学的物理的性質として、次のような特徴が知られている。

(1) 純粋な単独化合物としてのPCBは、常温において白色針状結晶の固体であり、塩素置換数が少ないほど融点、沸点が低く、多いほどそれが高いのであるが、置換数が同じでも異性体毎に融点、沸点を異にするあみならず、その化学的性質にも差異がある。

(2) 化学的に安定で、熱によつて分解しにくく、三塩化以上のものは事実上不燃性であつて、完全な分解には一、〇〇〇ないし一、四〇〇度の加熱を要する。

(3) 熱に強いだけでなく、酸化されにくく、酸やアルカリにも安定しており、また生物からも分解されにくい。

(4) 水に溶けにくいが、油やアルコール等の有機溶媒にはよく溶け、プラスチックとも自由に混り合う。

(5) 塩素化度の高いものは蒸発しにくく、うすい膜に拡げて使える。

(6) 水よりも重く、水中で油として使える。

(7) 電気絶縁性が高く、その他の電気的特性にも優れている。

(二) ところでPCBは天然には存在しない合成化学物質であり、一九二九年(昭和四年)にアメリカのスワン社(のちモンサント社に吸収)によつて商業ベースではじめて生産が開始され、その後各国で実用化されてきたものであるところ、化学的安定性が高く、熱安定性に優れた不燃物質であるという特性を有するために、工業薬品としてトランス用、コンデンサー用絶縁油、熱媒体、潤滑油、可塑剤、ノンカーボン紙等の多方面に使用されてきた。

我が国では、PCBは当初電気関係の需要が多く、トランス、コンデンサー等に使用されていたが、昭和三二年ころから熱媒体として使用され始め、同三九年ころにはノンカーボン紙や塗料等への需要が伸びてきた。

因みに昭和五三年度における通商産業省の調査によればPCBの用途別使用量は次のとおりである。

用途

使用量(トン)

電気機器

三七、一五六

熱媒体

八、五八五

ノンカーボン紙

五、三五〇

塗料、接着剤等

二、九一〇

輸出

五、三一八

合計

五九、三一九

(三) またPCBのうち、カネクロール四〇〇の性質は、外観は無色ないし微黄色の透明粘性油(液状物質)であり、流動点はマイナス五ないし八度、沸点は三四〇ないし三七五度で、不燃性で、それ自体の性質としては高温になつても金属を腐食することはないが、沸点近くなると微量ではあるが、分解して塩化水素を発生する。

そしてカネクロール四〇〇を熱媒体として利用するうえでの特徴、利点としては、(1)不燃性であるため、従来の可燃性熱媒体に比較し、火災、爆発の危険性がないこと(2)沸点が高く、しかも蒸気圧が非常に低いため、三二〇度の高温まで常圧液相循環で使用できるという性能の高さ及び使用の簡便さがあること(3)耐熱性、耐酸化性が極めて優れているため消耗が少なく、また金属に対する腐食性がないため使用材料の選定が自由であり、経済的であることなどがあげられる。

二原告らはPCBないしカネクロール四〇〇が慢性毒性の強い危険な化学物質である旨主張するので検討するに、〈証拠〉によると、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

1急性毒性については、油症研究班がハツカネズミに経口投与して行つた実験によると、LD50(半数致死量)は約二g/kgであり、またアメリカのドリンカーらのラッドによる実験結果(これはむしろ亜急性毒性を示すものといえる。)から推算すると、LD50は六ないし一七g/kgとなり、青酸ナトリウムのLD50が四mg/kg、毒物及び劇物取締法の劇物としての指定基準がLD50三〇〇mg/kg以下、DDTのそれが0.4ないし0.5g/kgであることなどと比較するとPCBの急性毒性は非常に低いものである。

2ところがPCBは塩化ナフタリンや三塩化ベンゼンなどと同じく、有機塩素化合物であるが、このようなものの中毒として、古くより、皮膚につくと塩素痤瘡(クロールアクネ)と名付けられる特異的な皮膚障害が生じ、吸収されると肝臓を冒すことが知られていた。

PCBについてもその製造が始まつたころ、工場労働者の皮膚にクロールアクネができた旨の報告があるし、また我が国でもカネクロール三〇〇を多量に使うコンデンサー工場で、皮膚症状を主とした中毒患者が発生した。

3PCBは長期間微量づつ生体内に取りこみ続けると、その脂溶性によつて体内の脂肪組織にはいりこみ、またその安定性、難分解性、非水溶性によつて分解、排出されにくく、皮下脂肪をはじめとする皮膚、肝臓等に蓄積される。

そして本件油症事件はこのようなPCBの長期微量の経口摂取による人体被害で、第一一損害総論で述べるような複雑多様な症状を発現するに至るが、被害者のカネクロール四〇〇の摂取量は、油症研究班の調査によれば数カ月合計で平均二g、最低で0.5gであると推定されている。

なおPCBの摂取による生体の反応は、脂質代謝異常と肝臓の酵素誘導作用として顕われることが知られている。

4今までに知られているPCBの生物学的および毒性学的影響の要約は、請求原因3(二)記載の表のとおりである。

5さらにPCBには強い毒性を持つ不純物が混じつていることがあり、カネクロール四〇〇の場合にもPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)や塩化ナフタリンの存在が証明されている。

PCDFはPCBと似た化学構造を持ち、ただ酸素一分子が多いだけであり、塩素の数もPCBと同様に多種類あり、その付着部位もいろいろで異性体が多い。五塩化物を主成分とするものの作用の強さは酵素誘導力から計算するとカネクロール四〇〇の一七〇倍であるが、ウサギの耳に塗つて過角化作用をみると約三倍の強さである。またPCDFの皮膚症状発現作用は意外に弱いものの肝臓など内臓への作用は相当強烈である。

6一九六六年(昭和四一年)にスウェーデンのS・ジェンセン博士が国内でとれたカワカマスなどの魚類やワシなどの鳥類の体内にPCBが含まれていることを発見したことを発表したのがPCBによる環境汚染の問題についての警告の最初とみられるが、しかし少なくとも我が国では右発表はあまり注目されず、我が国においてこの問題の調査研究が始められたのは昭和四五年秋ごろからであり、研究が進むにつれて汚染の深刻さが気付かれ、昭和四七年通産省によりPCBの使用自粛などについて行政指導がなされた結果、同年三月に三菱モンサントが、また同年六月に被告鐘化がそれぞれPCBの生産を中止するとともに、同月までに両社ともその販売を中止することになつた。

ついで昭和四八年一〇月に特定化学物質による環境の汚染を防止するため、(1)自然的作用による化学的変化を生じにくいものであり、かつ生物の体内に蓄積されやすく、(2)継続的に摂取される場合には、人の健康をそこなうおそれがあるものの製造、輸入、使用等を規制することを目的として、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律が制定されたが、同法はその立法当初よりPCBによる前期環境汚染を念頭においていたものであつて、同四九年にPCBが同法の特定化学物質第一号として指定された。

一方OECDは昭和四八年二月一三日の理事会で、加盟国にPCBの使用を原則的に禁止する決定を採択し、PCB公害に対する国際的な規制、防止の基準を打ち出した。これによると加盟国はPCBが工業または商業の目的に使用されることのないように措置しなければならず(但し誘電体、小型コンデンサー等の一部用途を除く。)、右目的を達成するために、加盟国はPCB原液の製造、輸入及び輸出の規制、余剰資材及び廃棄資材の回収、再生、適切な焼却その他安全な処分のための適切な措置、PCB原液及びPCB含有製品の特別かつ統一された表示システムの整備等の措置をとらねばならない旨決定している。

以上認定の各事実を総合すれば、PCBは現在では慢性毒性、蓄積毒性の強い危険な化学物質であるということが世界的に周知であるというべきである。

第四  カネクロール四〇〇のライスオイル中への漏出経路

一1弁論の全趣旨によれば、カネミライスオイルとは、被告カネミが製造販売している精製米糠油(サラダ油、白絞油等)に対する商品名であり、米糠を原料として、それを抽出、精製した食用油であることが認められる。

2右カネミライスオイルの製造工程の概要についてみるに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被告カネミの製油工程は大別して抽出工程と精製工程とに分けられる。抽出工程は昭和三四年一一月ころから、精製工程は同三六年四月ころから、いずれも三和油脂株式会社から技術導入を受けて操業を開始したものである。

抽出工程とは、原料の生の米糠から夾雑物を選別除去して乾燥させた後(前処理工程)、溶剤ノルマルヘキサンで米糠中に含まれる米糠原油を抽出し、溶剤を分別する(後処理工程)までの工程をいう。

(二) 次に精製工程は、脱ガム、脱酸、湯洗、粗脱ろう、脱色、脱臭、ウィンター、製品の各工程から成り、各工程の概要は次のとおりである。

(1) 脱ガム工程

原油中に含まれているガム質(樹脂質、蛋白質、ろう分等)を分離する工程であり、抽出工程から送られてくる原油に脱ガム剤としてメタポリリン酸ソーダを添加攪拌し、これを六〇ないし六五度に加熱した後、遠心分離機にかけてガム質を分離した油を脱ガム油という。

(2) 脱酸工程

脱ガム油中の遊離脂肪酸を除去するのを主たる目的とする工程である。脱ガム油に苛性ソーダを加えて脱酸タンクで混合し、苛性ソーダと脱ガム油中の遊離脂肪酸とを反応させてフーツ(石けん)を生成させ、これを五〇度前後に加熱して遠心分離機にかけると、フーツが分離される。このフーツを分離された油が脱酸油と呼ばれる。

そして分離されたフーツは硫酸で分解され、粗脂肪酸すなわちダーク油となる。

(3) 湯洗工程

脱酸油中に残つているフーツ分及び未反応の苛性ソーダを水で洗い流すことを目的とする工程である。脱酸油に洗滌水を加え、八〇ないし九〇度に加熱して遠心分離機にかける操作を二度行う。この操作を経た油を湯洗油と呼ぶ。

(4) 粗脱ろう工程

湯洗油中のろう分を除去するのを目的とする工程である。四〇ないし五〇度の湯洗油を冷却タンク(結晶タンク)に入れて約三日かけてゆつくり一五ないし二〇度に冷やし、湯洗油中のろう分を析出させ、これを布袋で濾過する。濾過された油を粗脱ろう油という。

(5) 脱色工程

粗脱ろう油の色相を低くするのを目的とする工程である。粗脱ろう油に活性白土を二ないし三%混入して五〇度に加熱し、減圧された脱色缶内で九〇度に加熱した後、圧搾濾過器(フィルタープレス)を通して色素を吸着した添加活性白土を除去する。この工程を経た油を脱色油と呼び、脱色油受タンクに溜められる。

(6) 脱臭工程

脱色油中の有臭成分を除去するのを主目的とする工程である。その方法は三ないし四mmHgの減圧下において、脱色油を二三〇度に加熱し、生蒸気を吹き込んで有臭成分を蒸散させる水蒸気蒸留方式である。右加熱方法は熱媒体にカネクロール四〇〇を用いる間接加熱方式であり、カネクロール四〇〇が使用されているのはこの工程だけである。

右脱臭工程及び脱臭缶の概略図は請求原因4(二)の図1、2のとおりである。昭和四三年一月末当時脱臭缶は六基あり、右脱臭缶は一、二、五号脱臭缶と三、四、六号脱臭缶の二組に分れており、各組に予熱缶、冷却缶、加熱炉が各一基ずつあてられており、計量タンク、カネクロール循環ポンプ、循環タンク及び真空装置は各組に共通である。予熱缶、脱臭缶及び冷却缶はともに真空系統であり、各缶及び各缶内の加熱媒体系パイプ並びに各缶を結ぶパイプ等高温の油が接する部分は油の着色を避けるためステンレスでできており、その他パイプ缶等の材質は軟鋼である。

脱臭操作はバッチ方式(連続式の対語で、仕入、繰作、排出をもつて一バッチとする。)で、脱臭缶一基の一バッチあたりの脱臭能力は二ドラム(約三六三kg)である。脱色油受タンクから送られた脱色油は計量タンクにはいり、二ドラム分計量され、予熱缶へ吸い上げられるのであるが、その途中で脱臭効果を良くするためメタポリリン酸ソーダを添加する。予熱缶において、脱色油は約三〇分で過熱水蒸気により一六〇ないし一七〇度に間接加熱される。予熱された脱色油は三ないし四mmHgに減圧された脱臭缶の内槽に落され、ここで二五〇ないし二六〇度に加熱されたカネクロール四〇〇を内槽内に設置された蛇管に循環させることにより二三〇度まで間接加熱される。脱色油が二〇〇度になるまでは昇温を速めるため、生蒸気パイプから弱い過熱水蒸気を噴射して油を攪拌するが、二〇〇度に達すると約一時間余り強い過熱水蒸気を噴射して油を激しく攪拌して、油中の有臭成分等を蒸散させる。蒸散した有臭成分は真空装置へ引かれる。真空装置へ引かれた溜出物にも油脂成分が含まれている。これらは真空装置のミストセパレーターに貯留する分(これをセパレーター油という。)及びホットウェルに浮ぶ分(これをあわ油という。)とに分れる。なお水蒸気で攪拌されるため内槽から飛びだして外筒底に溜つた油を飛沫油という。

脱臭された内槽の油は脱臭油と呼ばれ、冷却缶に落とされて冷却水により約五〇度まで冷やされる。冷却された脱臭油は0.5トンの脱臭油受タンクに一旦入れられ、ついで五トンまたは一〇トンの脱臭油受タンクに溜められる。

以上の様な操作が被告カネミでは原則として月曜日の朝八時から日曜日の朝八時まで昼夜連続して行われ、作業員は原則として二交替制(八時から二〇時までと二〇時から翌日八時まで)、二人一組で勤務していた。

(7) ウィンター工程

脱臭油のフライ分を除去し、油の曇点を下げるのを主目的とする工程である。脱臭油受タンクから送られた脱臭油は、冷却室にある四八基もの冷却タンク(結晶タンク)に張りこまれ、七二時間かけてゆつくり五度以下に冷却されるとフライ油が結晶となつて析出してくる。これをほぼ三日間布袋で自然に濾過し、濾過された油は順次仕上用タンクに上げられ、さらに圧搾濾過器で濾過してフライ分を除去する。ついでシリコン及びアンチコールを添加し、加熱、攪拌した後、精製度によりサラダ油及び白絞油に区分してサラダ油及び白絞油製品油受タンクに溜められる。

(8) 製品工程

サラダ油、白絞油等の各製品タンクからびん、缶及びドラムに詰め、製品として完成させる工程である。

二1前記のとおり、ライスオイルの精製工程のうち、カネクロール四〇〇が使用されているのは脱臭工程のみであるところ、原告らは右カネクロール四〇〇がライスオイルに混入した経路について、六号脱臭缶内のカネクロール蛇管に腐食孔(ピンホール)が生じており、通常はピンホールには充填物がつまつていたが、昭和四二年暮から昭和四三年初頭にかけての修理による衝撃等のため、つまつていた異物が損壊し、あるいは多孔質化していたのを、被告カネミにおいて昭和四三年一月三一日同脱臭缶を始動して脱臭操作をしたので、それ以後同年二月初めにかけて、同脱臭缶内のカネクロール蛇管のピンホールからカネクロール四〇〇がライスオイル中に漏出混入した旨主張する(以下「ピンホール説」という。)。

右ピンホール説は

(一) 被告加藤や工場長森本義人が業務上過失傷害容疑で起訴されたが、右捜査、公判段階でも、本訴より以前に提起された油症による損害賠償請求訴訟での福岡地方裁判所や同裁判所小倉支部での審理の際でも、前記二名はもちろん被告カネミの従業員はすべて(ただし後記工作ミス説で掲示する脱臭係長樋口広次の対談記録や手紙は例外)、カネクロール漏出の事実に気付かないで製品を出荷したと供述している事実(この事実は弁論の全趣旨により明らかである。)。

(二) 油症は昭和四三年二月五日から数日の間に出荷されたライスオイルを摂取した者にだけ発生したものとみられる事実(前認定の油症研究班疫学部会の調査結果)。

(三) 被告カネミの六号脱臭缶は外筒の腐食のため昭和四二年一二月始めごろから昭和四三年一月中ごろにかけ外註で修理していたものを、同年一月三一日から試験運転を開始した事実(この事実は〈証拠〉により認められる。)を前提とし、

(四) 昭和四四年八月二〇日付の小倉警察署長の嘱託に基く九大工学部化学機械工学科教授篠原久外六名の同大学の教授、助教授の鑑定を基礎としている。

そして〈証拠〉によれば、右鑑定は、

(一) 被告カネミの工場での空気漏れ試験や切り取つてなされた顕微鏡や非破壊検査の結果、六号脱臭缶のカネクロール蛇管に六個の貫通腐食孔(ピンホール)を発見したが、その中の最大のものは二mm×七mmで他は径一mm内外であつたこと、

(二) 右ピンホールにはカネクロール、ライスオイル、鉄等を含む樹脂状物質がつまつていたが、右充填物は妻楊枝の先で容易に除去される程度の軟弱さであつたこと、

(三) 前記工場での空気漏れ試験の際漏れた空気の量はピンホールがすべて開孔していたとすれば考えられない程の少量であつたこと、

(四) 患者使用油中に混入している有機塩素量が一、〇〇〇ppmであることから逆算すると、脱臭一バッチ当りのカネクロールの漏出量は最大一一七kg、最小8.92kgとなるが、通常の操業状態での、脱色油が脱臭缶内槽にある時間、カネクロールの内外の圧力差を前提に考えれば、右最大量のカネクロールが漏出するに要するピンホールの大きさは径約1.7mm、最小量の漏出に要するピンホールの大きさは径約0.47mmであれば足り、またピンホールにつまつている異物が多孔質になつている場合を想定し、一個の孔が径一mmと仮定すれば最大漏出量になるには孔の数は約三四〇二、最小漏出量になるには孔の数は約二六二あれば足りること、

(五) 患者使用油に含有されていたPCBと、被告カネミ脱臭工場で使用中のカネクロールを混入させて脱臭操作を行つた食油中のPCBについてガスクロマトグラフによる分析対比を行つた結果、明らかに成分組成が一致し、患者使用油中のPCBは脱臭操作を受けたカネクロールであることが明らかであること、

(六) 実験の結果、径一ないし二mm程度のピンホールは、油の燃焼が起るとか、温度三〇〇度程度であまり油が流動しない状態に保たれれば数時間ないし十数時間でタール状物質によつて自然に閉塞することが判明したこと、等の実験の結果や計算を基礎とし、結論として、

(一) 前記六号脱臭缶の修理の際、カネクロール蛇管には直接手は加えられなかつたとしても、取外し、運搬等の衝撃でそれまでピンホールにつまつていた充填物がこぼれ落ちたり亀裂が入る可能性があり、また内槽についた油カスが燃えたり、内槽の底二カ所がガスで切断されたり熔接された際充填物も燃えたり、多孔質になる可能性がある。

(二) ライスオイルが脱臭後、ウィンター工程を経て製品となるのに要する時間から計算すれば、六号脱臭缶が試運転された昭和四三年一月三一日以降の脱臭油が製品になつたのは同年二月五日以降と考えられるが、これが汚染油が製品詰めされた日時と一致する。

したがつて六号脱臭缶の試運転のときからカネクロールが漏出した可能性が高い。

(三) ピンホールの自然閉塞の可能性については、通常の操業状態すなわち温度二三〇度程度で油、カネクロールが共に流動している状態では容易に閉塞するとは思えないが、運転休止時、缶の余熱で二五〇ないし二七〇度程度に保たれるということがくり返されれば数日のうちに塞がる可能性があるものと思われる。

またピンホールの開孔が充填物の亀裂や多孔質化によつている場合には油の重合物の付着や充填物のカネクロールによる膨満または循環カネクロール内に入り込んでいる粒子などによつてピンホールが短期間に閉塞する可能性は一層大きいものである。

というものである。

2ところで被告鐘化は本件事故が右ピンホール説によるものではなく、昭和四三年一月下旬ころ一号脱臭缶の温度検知状態が不良となつたため、同月二九日被告カネミの営繕課第一鉄工係の権田由松によつて隔測温度計の保護管先端部分の孔の拡大工事が行われた際、同人が電気熔接棒を保護管内に突つ込みすぎ、保護管先端から至近の距離にあるステンレス製カネクロール蛇管をも熔融させ、これに孔をあけ、右孔からカネクロールが食用油中に漏出したのであるが、右事実を被告カネミの従業員が同月三一日になつて知り、右カネクロールの混入した約三ドラムの汚染油を回収タンクに回収したのち、翌月二日ころから右汚染油を再生することとして、正常油と混合させながら再脱臭を行い(汚染油を再脱臭したのは、当時の被告カネミの試験室長である今津順一から再脱臭すればカネクロールが飛ぶときいていたからである。)、その後右汚染油を出荷した結果生じたものである旨主張する(以下「工作ミス説」という。)。

そして右工作ミス説は当時の被告カネミの脱臭係長であつた樋口広次と被告鐘化の訴訟代理人である松浦武との対談記録や右樋口の手紙及び右松浦の証言などによつて基礎づけられるものである。

3そして本訴においては、カネクロールの食油中への漏出経路としてピンホール説と工作ミス説のみが主張され、その余の主張は何らなされていない(尤も〈証拠〉によれば、竹下安日児は脱臭缶内部の内筒の外に相当する位置にある加熱パイプのフランジから、脱臭時の内筒の振動なども手伝つてネジがゆるみ、パッキングがあまくなつて循環中のカネクロールの漏洩がおこり、これが食用油に溶けこんだ旨の主張をなしていることが、また〈証拠〉によれば、当初カネクロールが食用油中に人為的に投入された旨の主張がなされていたことがそれぞれ認められるが、右各説ともに本訴において原、被告らは積極的に主張していないばかりでなく、右証拠によれば右各説とも客観的な資料に基づくものではなく、推測による仮説というべきものであることが認められ、他に右説を認めるに足りる証拠は何ら存しないのであるから、いずれも採用しえないものである。)。したがつて以下右両説の問題点について検討していくこととする。

4ピンホール説の問題点

(一) 前記のとおりピンホール説を支える重要な証拠は九大鑑定であるが、右鑑定人らが鑑定を嘱託されたのは、小倉警察署の捜査の結果ピンホールが発見されて以後のことであり、甲第二九号証の一によれば、その嘱託事項も、「六号の脱臭缶内へのカネクロールの漏出の有無、あるとすれば漏出の箇所及びその量、六基の脱臭缶内カネクロール循環ステンレスパイプに生じたピンホールの成因について、六号脱臭缶ステンレスパイプに生じた腐食孔の充填物が開孔あるいは閉塞する可能性」等であつて、当初より右鑑定がカネクロールのピンホール(特に六号脱臭缶蛇管)よりの漏出の可能性を中心とした鑑定であつたことはその鑑定書自体の記載から明らかである。そしてその結果右鑑定は前記のとおり六号脱臭缶蛇管のピンホールよりの漏出の可能性がきわめて大きいという結論を出したが、当然には漏出経路に関する他の説を排斥するものでないことが伺われる(このことは〈証拠〉によつても認めることができる。)。

(二) しかも右鑑定の結論である六号脱臭缶のカネクロール蛇管に存在するピンホールの開孔の可能性および閉塞の可能性に関する部分は厳密な実験による裏付けを欠く推論に過ぎない。

(三) (被告カネミの従業員の認識可能性)

ピンホール説は前述のとおり、六号脱臭缶のカネクロール蛇管にピンホールが存在したという厳然たる事実の裏付けはあるものの、他方被告カネミの従業員の誰もがカネクロール漏出の事態も知らなかつたことを前提としている。

知つたならば右鑑定の時までピンホールをそのままに放置して置く筈はないであろう。

しかし被告カネミの従業員が漏出に気付かなかつたとするには多くの疑問点が存在する。

(1) カネクロール蛇管からのカネクロールの漏出量を認定するのは甚だ困難ではあるが、

(イ) 〈証拠〉によれば九大鑑定では、患者使用油に混入した有機塩素量が約一、〇〇〇ppmであつたことから、昭和四三年一月三一日のカネクロール漏出量を試算し、その結果一バッチあたり最大一一七kg(六号缶当日二バッチ運転で、それが他の脱臭缶で脱臭された正常な脱臭油五〇ドラムに均一に希釈されたとする場合)、最小8.92kg(正常油に希釈されず、汚染油がそのまま製品になつた場合)であつて、現実にはその中間の条件が可能性として考えられる旨の結論を出していることが認められる。しかしながら右鑑定でも認めているように、脱臭油がウィンター工程へ払出される際、一体どのくらいの量の正常脱臭油で希釈されるか(当日の全脱臭油は五〇ドラムとされているが、果してその五〇ドラムに均一に希釈されるか)、またピンホール開孔後、日時の経過に伴い漏出量はどういう割合で減少していくと考えられるか(ピンホール説では短時日による閉塞を前提としているのであるから、通常開孔した日とされている一月三一日が最も漏出量が多いと考えられるはずである。)等により、カネクロールの総漏出量にも著しい差異の生じることは避けられないところであり、右方法によりカネクロールの漏出量を推算することは困難だといわざるをえないけれども、ウィンター工程一トンタンク三基分(約一五ドラム)に六号脱臭缶一バッチ分が混入し希釈されるとして(甲第二九号証の一の第五次鑑定作業のカネクロール減少量についての九大実験の際の前提)推算すると、一月三一日の漏出量は一バッチあたり約七〇kgとなり、当日二ドラム生産されたと仮定して当日のみで約一四〇kgのカネクロールの漏出があつたということになる。

(ロ) 次に被告カネミの帳簿(後記のとおり同被告の帳簿には度々改ざんの跡がみられ、必ずしも信用性の高いものとはいえないが)よりカネクロールの漏出量を検討していくに、丙第五一号証(精製日報)、第一一四号証によれば、精製日報には昭和四三年一、二月度のカネクロール補給状況について、一月七日に五〇kg、一月三一日に二〇〇kg、二月(日時の記載がない。)に二五〇kgという記載があること、右二月の補給は実際には二月一日になされたことがそれぞれ認められる。ところで丙第七〇号証(岩田文男の供述調書)によれば加熱炉一基、脱臭缶二缶につきカネクロールの自然消耗量は一カ月一〇ないし一五kg程度であることが、また丙第二六四号証(樋口広次の供述調書)によれば、脱臭係長の樋口は正常な運転の場合、カネクロールを一カ月一五kg程度補給しておればよいといわれていたこと、昭和四二年中には右のように短期間に大量のカネクロールを補給したことが全くないことがそれぞれ認められる。したがつて右カネクロールの補給は極めて異常なものであつたというべきである(尤も丙第五一号証によれば昭和四三年三月中にも二五〇kgの補給のなされていることが認められるが、これは丙第二五九号証によれば、同月に二号加熱炉の焼付事故がおきたために必要であつたことが伺われる。)。この補給について丙第一二五、一二六号証、第二五九号証によれば森本義人は一月分の補給は、五号、六号脱臭缶の稼働のために必要であつた旨、すなわち一月中の補給量二五〇kgの内訳は、二号加熱炉運転開始のための必要量が一〇〇kg、五号、六号脱臭缶稼働開始のための必要量が各五〇kg(新しく加熱炉や脱臭缶が稼働し始めると、カネクロール循環系の容積が増加するので、その容積分に相当するカネクロールを追加補給する必要がある。)、一月中の自然ロスの補給量が五〇kgである旨、また二月の補給については正確な説明ができない旨それぞれ供述している。しかしながら精製日報では一月三一日に二〇〇kgの補給がなされたようになつているのであつて、同日までには既に五号脱臭缶や二号加熱炉が稼働していたことは前掲各証拠によりこれを認めることができるから、少なくともこの点においては右森本の供述は措信できないところである。そうすると結局昭和四三年一月末より二月初めにかけてのカネクロールの補給中、説明できない部分は一月三一日の補給量二〇〇kgと二月一日の補給量二五〇kgの和四五〇kgから六号脱臭缶稼働開始のための必要量五〇kg及び一月中の自然ロス分五〇kgを差しひいた三五〇kgということになる。以上により本件事故の際のカネクロールの総漏出量は三五〇kgと推測しうるものである(ところで証人緒方毅の証言によると、三油興業がカネクロールを被告カネミに販売していたところ、右三油興業では被告カネミよりカネクロールの発注をうけ、一月三一日に日新蛋白工業及び吉富製薬より借り受けて計三〇〇kgのカネクロールを右被告に納入したこと、そのほか二月にもさらに二五〇kg納入したことが認められ、右証言によれば前記精製日報の記載よりも多量のカネクロール補給の事実が伺え、したがつてカネクロール漏出量はより多くなるものである。)。

(2) 以上のとおり、一日に約一四〇kg、あるいは総量で約三五〇kgもの大量のカネクロールが食油中に漏出したことになり、その際にはカネクロールタンクの異常減量や、装置稼働の際の何らかの異変、例えば脱臭缶の真空度が上がらないなどの異常(甲第二九号証の一中には一バッチ一一七kgの漏出の時、右異常がおこる旨の記載がある。)、脱臭油の異常な増量などの現象が生じることが考えられ、これらにより被告カネミの従業員(とりわけ脱臭係)はカネクロールの食油中への漏出を認識したか、又は容易に認識しえたものと推認することができる。このことはさらに次の事実からも伺えるところである。

(3) 色相等の変化について

(イ) 〈証拠〉によれば、被告カネミは製品の品質検査として毎日脱臭が終つた各脱臭缶ごとにとつた試料を全部混ぜ合わせて、試験室において、色相の外酸価、風味、発煙点などを検査し、その結果によつて品質のよいものはサラダ油、これに次ぐものは白絞油として出荷していたこと、社内規格は白絞油で、色相赤3.5、黄三六以下であつたことがそれぞれ認められる。

(ロ) ところで〈証拠〉によれば、慶応大学教授の阿部芳郎は、昭和五〇年に福岡地方裁判所小倉支部より鑑定嘱託をうけて被告カネミに保管されている使用中のカネクロール(新しいカネクロール四〇〇が無色ないし微黄色で透明であることは前述のとおりであるが、使用を始めると赤色を呈する。)、被告鐘化より提供された新しいカネクロール及び両者からなる混合カネクロールを脱色米糠油に添加して脱臭し、所定量のPCBを溜去して得られた試料脱臭油の色相、風味、発煙点に関する試験を行つたが、そのうち新カネクロール一に対し、古カネクロール2.87(これが昭和四三年初めごろ被告カネミで使用中のカネクロールの状態に最も近い。)の割合で混合したカネクロールについて、原告ら患者が使用した商品であるライスオイルに混入していたカネクロールの濃度である二ないし三、〇〇〇ppmに近いものに見合う色相をみてみると次表のとおりである。

なるほど甲第六五七号証、丙第一二七号証において森本義人が供述するように、古カネクロールは昭和五〇年に被告カネミより採取されたもので、既に事故時より七年経過後のものであるから、事故当時のカネクロールと全く同一条件とはいいえないのではないかという疑いも存するが(尤も丙第六四号証において、阿部鑑定人は色相について殆んど変化はないと供述している。)、そうであるとしても前記社内規格に比較した場合の右顕著な異常の結果は容易には無視しえないものというべきである。

番号

脱臭操作後残存

カネクロール量(ppm)

色相

1

一、五二三

7.6

54.0

2

一、九二八

7.8

54.0

3

二、六八五

7.6

54.0

4

一、九三八

7.8

56.0

5

二、六九五

7.8

56.0

(ハ) したがつて被告カネミが前記製品検査を行つておれば、当然に脱臭油の異常について知りえたはずであり、被告カネミが右異常を知りえなかつたとするのは、極めて不自然なことといわざるをえない(この点について丙第四七、四九号証(試験日報)には、昭和四三年一月三一日及び二月一日の脱臭油については平均試料検査の結果の記載がなく、そのために顕著な異常が見出されえなかつたのではないかという疑いも存するが、およそ平均試料検査を全くなさなかつたというのはにわかに措信しがたいところである。)。

(4) 次に甲第二九号証の一の九大鑑定によれば、脱色油約三六〇kgにカネクロールを一〇kg混入したうえで脱臭実験をなした際、当初の検体中には有機塩素量が一万二、三〇〇ppmあつたものが、脱臭後には一、〇三〇ppmと約一二分の一に減少していたこと、一方飛沫油中には有機塩素量が約二万八、〇〇〇ppm検出されたことが認められる。このようにカネクロールの殆んどは脱臭工程を経ると、脱臭油に残存せず、飛沫油や、蒸散して真空装置に引かれあわ油、セパレーター油などに混入することは明らかであり、したがつて右各油を取り出す際には多量のカネクロールの混入による顕著な異常の出ることが推測せられるところである。

(5) さらに丙第四七号証(試験日報)、第五一号証(精製日報)、第五三号証(ウィンター日誌)などの被告カネミの帳簿を検証するに、昭和四三年一月三〇日から二月三日までの間に数々の書き直した形跡がみられ、こうした帳簿改ざんの事実も、当時被告カネミの従業員がカネクロール漏出の事実を知つていたのではないかという疑いを抱かせるものといわざるをえない。

(四) (ダーク油中のPCBパターンとの関係)

前記のとおりダーク油事件も本件油症事件と同様PCBの混入により生じたものであるが、〈証拠〉によれば、被告カネミでは脱臭工程で生じた飛沫油、あわ油をダーク油中に混ぜていたことが認められるのであつて、これにより、脱臭工程より前段階で副成されるダーク油中にカネクロールが混入したものと考えられる(ただし工作ミス説ではこれとは異なる可能性もあることは後述)。この飛沫油、あわ油などの処分については、丙第二八〇号証中及び証人森本義人の証言中で、同人は飛沫油、セパレーター油は原油へ戻し、またスカム油(あわ油)は海に流していた旨供述するが、右供述は前認定の事実及び丙第二七五号証に照らしてにわかに措信できない。

ところで〈証拠〉によれば、事故ダーク油中のカネクロール四〇〇の化学的組成は、本来のカネクロール四〇〇のそれよりもやや低沸点部分(三、四塩化物)が少なく、むしろ高沸点部分(五塩化物)が多くなつたパターンを示していたが、全体的なバランスでは依然四塩化ビフェニールを主成分とする本来のカネクロール四〇〇の成分と殆んど変わつていなかつたことが認められる。

一方甲第二九号証の一(九大鑑定)によれば、飛沫油、あわ油の塩化ビフェニール成分について、飛沫油のそれは普通のカネクロール成分とかなり一致しているが、幾分低沸点部分が多いこと、あわ油やセパレーター油のそれは、低沸点成分が高沸点成分より、より多く含まれていること(前記のとおり右セパレーター油及びあわ油は脱臭工程で蒸散されて真空装置へ引かれる分であるから、低沸点部分が多くなるのは、蒸留の原理から当然のことである。)がそれぞれ認められる。したがつて右飛沫油及びあわ油を投与した事故ダーク油中の塩化ビフェニール成分も当然に本来のカネクロールのそれより低沸点部分が多いパターンを示すはずであるにかかわらず、現実には右のとおりむしろ高沸点部分が多いパターンを示しているのは疑問の残るところといわざるをえない。

以上のとおり、ピンホール説は客観的なピンホールの存在という事実を前提としているものの、種々の疑問点が存し、右説では十分説明できない点も少なからず存するというべきである。

5工作ミス説の問題点

前記工作ミス説についてはそれを裏づける直接的な証拠として、丙第二七三号証(弁護士松浦武と樋口広次の対談記録)及び同第二七四号証中の樋口広次より加藤八千代に宛てた手紙などが存するところ、これらはいずれも本件事件当時被告カネミの脱臭係長であつた樋口広次が本件油症事件の真相を明らかにするということで供述したものであることが認められる。しかしながら〈証拠〉によれば、同人は、弁護士松浦武との対談後に行われた福岡高等裁判所での証人調の際、工作ミス説に関連する点について尋問を受けながら何ら供述していないし、また本件油症事件発覚後なされた捜査段階でも何ら供述をしていないことが伺われる。この点について証人松浦武の証言によれば右樋口は今まで右事実を明らかにしなかつたことについて、被告カネミの従業員として同被告を裏切ることができなかつた旨述べていたことが認められ、右供述は一応首肯しうるものではあるが、しかしなぜ油症事件発生後一二年余経つた昭和五五年になつて右供述をなすに至つたか必ずしも明確ではないし、また油症事件の捜査の段階から被告カネミの従業員中に右説を直接に裏づける供述をしている者が全くいないこと(〈証拠〉によれば、被告カネミの従業員であつた白石と石田の二人も右工作ミス説に関連するような供述をしたことが窺えるが、右供述はあまりにも漠然としたものであつて採用しえないものである。)及び右樋口の供述も仔細に見ると、自己の経験していないことについての供述が多くの部分を占めていることなどの疑問点が存するところである。しかもそもそも前記のとおり九大鑑定の際、鑑定人らが六号脱臭缶に次いで一号脱臭缶を検討したにもかかわらず一号脱臭缶の熔接痕が発見されたことは本件全証拠によるも認められないし(ただし、九大鑑定の際はカネクロールの漏出の可能性のある孔の発見に重点が置かれ、熔接痕は見落されたことも考えられる。)、また丙第二二六号証、第二三四号証の被告カネミの鉄工係日誌中に昭和四三年一月二九日隔測温度計保護管先端の孔の拡張工事について何ら記載がないなど客観的な証拠が乏しいものである。

このように工作ミス説は、形式的には証拠の乏しい説だといわざるをえないが、反面当時の脱臭係長が仮に法廷外であるにせよ真相を述べるということで右にそう事実を語つたという点は無視しえず、右の説によればカネクロールが短期間だけ漏出した理由が九大鑑定より自然であるし、被告カネミの従業員がカネクロール漏出について認識していたことを前提とするのであるから、前記ピンホール説の問題点中(三)は説明しうるし、また同(四)についてもカネクロールの混入した汚染油の一部をそのままダーク油中に投入したとすれば、甲第二九号証の一により認められるように、脱臭工程を経たカネクロールは、カネクロール自体と比較して高沸点部分をより多く含有するのであるから、事故ダーク油のPCBパターンについて説明しうるのであり、さらに丙第二六一号証の一、二及び弁論の全趣旨により認められる昭和四三年二月中全く一号脱臭缶が稼働していなかつたという事実も、孔の熔接修理のため蛇管が管外に取り出されたためであつた(丙第二七三号証)とするなど多くの点で合理的説明が可能となるのであつて、やはり容易に捨て去り難い説だといわざるをえないものである。

6以上カネクロールの食用油中への混入経路について、現在考えられうる二つの説とその問題点を検討した。ピンホール説はなるほどピンホールの存在という客観的な事実を前提とするものであるが、前記のとおり同説を採つた場合その問題点(とりわけ被告カネミの従業員が当時なぜカネクロールの大量漏出の事実を知らなかつたかという点)が多すぎるといわねばならない。一方工作ミス説はピンホール説で説明しえない点について、合理的な説明の可能なものではあるが、前記のとおりそもそも証拠が薄弱でこれを裏づける客観的な資料(例えば一号脱臭缶の熔接痕など)を欠いているのであつて、所詮推論の域を出ないという批判も否定できないところである。

既に漏出事故が発生したとされる時期より一三年以上経過し、しかも弁論の全趣旨により認められる直接の関係者である被告カネミの従業員が積極的に真相解明に努めないという事実のもとでは、これ以上両説について検討を続けることはきわめて困難なところである。

しかしながら翻つて考えるに、右漏出事故の原因について検討してきた結果少なくとも次の事実が明らかになつたということができる。すなわち、(1)患者使用油は脱臭工程を経たものであり、したがつてカネクロールも右脱臭工程中で漏出したものであること、(2)右漏出は昭和四三年一月末ころから同年二月初めまでの間の短期間に生じたこと、(3)右両説以外漏出経路については他に考えられないこと、(4)被告カネミとしては右漏出混入の事実を知つていたか、あるいは容易に知りうる状況にあつたこと、である。

したがつて漏出経路についての検討は右限度にとどめ、以下前記事実を前提として被告らの責任について検討を加えていくこととする(被告らの責任を判断する際必要の都度ピンホール説又は工作ミス説の双方に分けて考察することとする。)。

第五  被告カネミの責任

一一般に人間の生命、健康を維持、増進し、種族の保持、繁栄を図るために必要不可欠の食物は、まず第一に人間の生命、健康にとつて絶対に安全なものでなければならないことはいうまでもないところである。そして今日の商品経済社会においては、食品が商品として流通される場合、その安全性が欠けているときには、極めて広範囲に深刻な結果を招来するおそれがあり、しかも食品を購入する消費者にとつては、その安全性を確かめる手段、方法が限定されているために、その安全性を信じざるをえない状況にある。

したがつて食品を商品として製造販売する食品製造販売業者は、法律等の規定をまつまでもなく、その食品の安全性を確保するべき極めて高度かつ厳格な注意義務を負つていると解すべきである。勿論今日の分業経済社会では、食品の製造に数多くの企業が直接間接に関与しており、それぞれの食品関連企業がそれぞれの分野で食品の安全性を確保するために、高度の注意義務を負うべきではあるが、そうだとしても、右食品製造販売業者の注意義務がこれによつて減殺されるものではないことは明らかなことである。

「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」を目的として、昭和二三年より施行されている現行の食品衛生法は、四条で不衛生食品等の販売等の禁止の規定を設け、食品又は添加物について、腐敗し、若しくは変敗したもの又は未熟であるもの(一号)、有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは附着し、又はこれらの疑いがあるもの(二号)、病原微生物により汚染され、又はその疑いがあり、人の健康を害う虞があるもの(三号)、不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を害う虞があるもの(四号)を販売したり、又は販売の用に供するために、製造、加工、使用などすることを禁止しており、この規定に違反した場合には営業許可の取消等の行政処分(二二条)の他、三〇条で刑事罰を科することを定めているのは、前記食品製造販売業者の注意義務について法律上明確にしたものというべきである。

二ところで被告カネミは食品製造販売業者であること、本件油症事件は、被告カネミが昭和四三年二月上、中旬に販売した食品油であるカネミライスオイルにカネクロール四〇〇が混入していたために発生したものであること、右カネクロール四〇〇が被告カネミの製造工程中において右ライスオイルに混入したものであること及び右被告は右混入の事実を知つていたか又は容易に知りうべき状況にあつたことはいずれも前認定のとおりである。

したがつて被告カネミは食品原料自体ではなく、食品製造過程において、有害な物質であるPCB(右物質が食品やその添加物ではなく、熱媒体として使用される工業薬品であることは前記のとおり)を食品中に混入させ、しかもそのことを知り又は知りうべき状況にありながら、右食品を出荷したものであつて、そのこと自体食品製造販売業者としての前記注意義務に違反するものであり、右被告に過失を認めるべきである。

なるほど後記のとおりカネクロールは当時社会的に毒性がさほど強い物質とは認識されておらず、又その製造販売業者である被告鐘化がカネクロールの安全性のみを強調したために、被告カネミにはカネクロールの有毒性について知見が充分になかつたとしても、このこと自体から被告カネミが免責されるものではない。けだし、カネクロールは本来食品添加物などとは異なり、食品に混入することが予定されている物質ではなく、しかも自然界に存在しない合成化学物質である(甲第三三号証のカネクロールのカタログ中にもビフェニールの塩素化物である旨の記載がある。)から、食品製造業者としてはこのような異物が進んでその安全性に全く問題がないと証明された場合を除いて、右異物を食品に混入させてはならないことは前記のとおり当然のことであるからである。

そして本件では〈証拠〉によると、被告カネミの工場長であつた森本義人は三和油脂から精製装置を導入するに際して、カネクロールのカタログを入手して読んだものであること、右カタログにはカネクロールの諸性質や使用方法が記載されているほか、取扱の安全という項目中に「カネクロールは芳香族ビフェニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持つていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし下記の点に注意していただく必要があります。(1)皮膚に附着した時は石鹸にて洗えば完全におちます。(2)熱いカネクロールに触れ、火傷した時は普通の火傷の手当で結構です。(3)カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。カネクロールの熱媒装置は普通密閉型で、従業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂いがする時は、装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。」という記載があること、右森本は右装置導入の際、三和油脂の岩田文男からカネクロールの毒性についてあまり聞かなかつたものの、右物質が芳香族の塩素化合物であることを知つており、そのため一応毒性があるのではなかろうかということは考えていたこと、その毒性の程度はA重油程度であると考え、それ以上進んで調査等をなさなかつたことが認められる。

右事実によれば、被告カネミもカネクロールが人の健康を害う虞がない物質とは考えていなかつたことは明らかであり、結局右被告には前記過失があつたというべきである(なお被告カネミは本訴において答弁書中で右被告の過失の存在を争つているのみで、進んで過失の不存在については何らの主張立証をなしていない。)。

したがつて被告カネミには、民法七〇九条により原告らが被つた後記損害を賠償する義務がある。

第六  被告加藤の責任

一被告加藤が被告カネミの代表取締役であること、昭和三六年四月より製油部担当取締役と本社工場の工場長を兼務したこと、本社工場の工場長は同四〇年一一月までであり、その他の業務には従事していることはいずれも前認定のとおりである。

二原告らは被告加藤について、民法七一五条二項の代理監督者責任を負う旨主張するので検討するに、一般に代理監督者責任とは、単に代表取締役の地位にあるからではなく、そのような地位にあるかどうかを問わず、事実上使用者に代つて被用者の選任、監督のどちらか一方または両方の任にあたる者が、その被用者の不法行為につき、責任を負う規定である。

ところで本件では、前記のとおり被告カネミにはカネクロール四〇〇がライスオイル中に混入したことを知り、又は容易に知りうべかりし状況で右ライスオイルを出荷した過失があつたものであるが、右過失は特定の被用者の過失というよりはむしろ被告カネミのライスオイル精製工程(とりわけ脱臭工程)に従事している従業員の人的組織全体の過失と評すべきものである。そしてこのような人的組織全体について不法行為が問題とされる場合にも、代表取締役が現実に組織全体を指揮監督しているようなときには、その組織の構成分子として全体の中に埋没してしまうことなく、民法七一五条二項の代理監督者責任の有無を検討すべき余地があるものと解すべきところ、前認定の事実に丙第一六号証、第一二五ないし第一三一号証、第二三六号証、第二四三号証及び弁論の全趣旨を総合すると、被告加藤は昭和二七年に被告カネミの前身であるカネミ糧穀株式会社の代表取締役となり、以後今日までその地位にあるが、その間昭和三六年に被告カネミが三和油脂よりライスオイル精製装置を導入して以後本社工場の工場長の工場長として、製油部の施設の維持管理や作業員の指揮監督などについて最高責任者であつたこと、昭和四〇年一一月に森本義人に本社工場の工場長の地位を譲つたものの、その後も担当取締役として右森本の直接の上司であつたこと、したがつて、昭和四三年当時右森本が製油部門の責任者として、日常の施設の維持管理や工場関係者の指揮監督にあたつていたのであるが、資金を必要とする施設の増設、改善、変更等についての決裁は被告加藤が行つていたし、また製油部の操業状態の大筋や部内で起きた事故などはすべて右被告に報告がなされ、機構上製油部に属さない営繕課に依頼してする機械や装置の修理についても右被告の決裁を必要としたこと、昭和四三年当時被告カネミは資本金五、〇〇〇万円、従業員総数約四〇〇名の会社であり、その会長の職には被告加藤の実父である加藤平太郎がついているなど加藤一族の同族会社というべきものであつたことなどの事実を認めることができる。

三以上の事実によれば、昭和四三年二月当時被告加藤は工場長の地位を既に離れていたものの、いまだ森本工場長をはじめとする右部門の人的組織全体を、使用者に代つて現実に指揮監督する地位にあつたものというべきであり、したがつて民法七一五条二項の責任を免れることができない。

そして被告加藤は本訴において被用者の選任監督につき相当の注意をなしたことや、相当の注意をなすも損害が生じたものであることなどの主張を何らなしていないから、結局右被告は原告らが被つた後記損害を賠償する義務があるというべきである。

第七  被告鐘化の責任

一原告らは被告鐘化の第一の責任として、同被告が人体に有害なPCBを我が国で独占的に製造販売した責任をあげる。

しかしながら、本件において原告らが受けた損害というのは、食品製造業者である被告カネミが製造したライスオイルが、その製造工程で熱媒体として使用したPCBに汚染されていたため、これを摂取して健康上の被害を受けたというものであり、PCBによる環境汚染のため被害を受けたとか、PCBにより労働災害を受けたというものではない。

そして被告鐘化がPCBを食品工業用熱媒体として製造販売した責任についてはつぎの第二の責任として検討するのであるから、これを離れて一般的にPCBを製造販売した責任を論ずる必要性を見出すことはできない。

原告らの右主張はすでにこの点で採用することはできない。

二次に原告らは、被告鐘化の第二の責任として、同被告がPCBを食品工業用熱媒体として製造販売した責任をあげる。

1前記のとおり人間の生命、健康を維持、増進し、種族の保持、繁栄を図るために必要不可欠の食品は第一に人間の生命、健康にとつて絶対に安全なものでなければならず、このため食品製造販売業者には食品の安全性を守るため高度かつ厳格な注意義務が要求されるところである。しかしながら、今日の分業経済社会においては、食品の安全を守るためには、食品製造販売業者のみが右注意義務を遵守するだけでは足らず、原料を供給したり、食品製造にあたり工業薬品、設備、装置等を供する食品製造関連業者もまた安全な食品の供給という目的のために、それぞれその分野において、食品製造販売業者と相並んで高度の安全確保義務を負つていると解すべきである。けだしそう解しないと、今日の複雑多様化した食品製造のすべてについて食品製造販売業者がその使用する原料や装置などの性質を的確に把握し、十分な管理の下に適切な対応をなすことを常に要求することは、食品の安全性確保のため必要ではあつても、現実には不可能な場合もあることがまた事実であるからである。

特に〈証拠〉を総合して認められる、我が国の食品製造企業には零細なものが多く、安全性の試験、研究や装置の維持管理につき充分の知識を有する専門家を多数擁する企業は極めて少ない事実に留意すべきである。

そして原料や工業薬品、装置等を供給する業者の安全確保義務はさまざまではあろうが、要するに食品製造業者が供給されるものの取扱いを誤つて、製造する食品の安全性に悪影響を及ぼさないよう、供給する物に関する正確で的確な情報を提供する義務であるというべきである。

2ところで被告鐘化は戦後我が国で初めてPCBの生産を開始した化学企業であるところ、そもそもPCBのような合成化学物質は本来自然界に存在しないものを合成するものであり、したがつて自然界に異質なものであることは論をまたないところである。そしてこのような新規の合成化学物質については、それを利用する需要者は通常その物質について専門的知識を充分に有するものではなく、又自らその物質の特性を調査研究することも困難なことが予想されるから、このような合成化学物質を新規に開発製造する化学企業において、右合成化学物質が人体や環境にとつてどのような影響を生じるものであるかを予め充分に調査研究し、その結果知りえた右物質の特性やこれに応じた取扱方法を需要者に充分周知徹底させるべきであり、仮に充分な調査研究の結果、その安全性が確認できない場合には、少なくとも人体や環境に危険を及ぼすおそれのある分野には、右物質を販売すべきではないというべきである。

なるほど被告鐘化は前記のとおり戦後我が国で最初にPCBを独占的に製造販売してきた者であるとしても、PCB自体すでにアメリカをはじめ各国で開発、実用化されていたのであり、右被告が製造する以前より、我が国においても輸入され、利用されてきたものではあるが、そうであるとしても前記合成化学企業としての注意義務に消長を来すものではないというべきである。けだし合成化合物質は本来自然界に異質なものであるから、すでにその物理的、化学的性質について社会一般に周知のものであつて、社会一般に広く流布しているもの(PCBはこのような物質には属さないものというべきである。)を除いては、その製造販売を行い、その結果利潤を得るものが、自らその合成化学物質の性状等を需要者に明らかにすべきであることについては、その物質が世界ですでに開発、実用化されていたか、それとも全く新たに開発されたものであるかによつて差異を生じるべき必然性は毫も存しないからである。

3そこで本件における被告鐘化の具体的注意義務について検討するに、被告鐘化がPCBを製造し、これを三油興業を通じ被告カネミに販売していたこと、PCBが毒性の強い危険な物質であること、PCBを食品工業用熱媒体として使用するというのは、すなわち薄い金属板を隔ててPCBと食品とが接触する状況になること、本件油症事件はPCBが食用油中に混入した結果生じたものであることはいずれも前示のとおりである。

被告鐘化はPCBの毒性についての知見が現時点では前示のとおりであるとしても、本件油症事件当時世界的な評価認識では、PCBはさほど危険な物質としては取り扱われていなかつた旨主張する。

そこで以下まずこの点について判断する。

(一) (昭和四三年当時のPCBについての世界的評価認識)

〈証拠〉及び証人藤原邦達の証言によれば、昭和四三年以前にPCBの危険牲に関して論じた文献として、(1)野村茂の「労働科学」誌上の研究論文(2)大久保、松田の「国民衛生」誌上の報告(3)ドリンカーらの論文(4)カーソンの著書「沈黙の春」(5)シュミッテル、サンガーらの論文(6)フリックらのポールトリーサイエンスなどのものが存したことが伺われる。

ところで〈証拠〉及び右藤原の証言によると、(4)の「沈黙の春」は主として、DDT、BHCなどの有機塩素化合物一般について、その環境汚染という観点から論じたものであること、また(5)(6)はアメリカで起つたヒナ浮腫病(チックエディマディジーズ)に関して、その原因物質追究の面から、有機塩素化合物が右病気の原因物質であると論じたものであることがそれぞれ認められ、右(4)ないし(6)はいずれも直接的にはPCBの毒性について指摘した文献ではない。

したがつて当時のPCBの毒性についての研究に関して、以下主に(1)ないし(3)の論文について簡単な考察を加えていくこととする(なお〈証拠〉によれば、被告鐘化においてPCB生産の企業化に先立ち、その製法、属性等についての研究が三神義雄研究員らを中心として行われた際、同人らは右(1)や(3)の論文を検討したことが認められる。)。

(1) ドリンカーらの論文(前記(3))について

〈証拠〉によれば次の事実を認めることができる。

(イ) ドリンカーらの論文といわれるものは、一九三七年(昭和一二年)と一九三九年(昭和一四年)にそれぞれアメリカの雑誌「ザ・ジャーナル・オブ・インダストリアル・ハイジーン・アンド・トキシコロジー」に公表されたものである。

一九三七年の論文は、「ある種の塩素化炭化水素によつておこりうる全身的作用についての問題」という標題で、塩素化ナフタレン類及び類似の薬理学的可能性をもつ化合物の多くのものが、厄介な吹出物を発生させることから、その様な物質の摂取或いは吸入による全身的な影響の可能性を調べたものであり、その実験結果は次のとおりである。

(ⅰ) シロネズミに対し、(あ)三塩化ナフタレンと痕跡の四塩化ナフタレンの混合物(塩素含量49.9%)(い)五及び六塩化ナフタレン(塩素含量62.6%)(う)九〇%の五及び六塩化ナフタレンと一〇%の精製塩化ビフェニールの混合物(塩素含量63.0%)(え)塩化ビフェニール(塩素含量65.0%)の各物質について、吸入実験、給餌実験を行つた。

(ⅱ) 吸入実験で、外観、体重、活動性、血液及び尿についての注意深い観察では、どんな異常性もなかつた。更に六週間の被曝後では、三塩化ナフタレン以上の塩素化をうけた化合物は全部弱度の肝障害をおこしたが、他のどんな器官にも変化はなかつた。わずかな肝障害が常に存在し、それが顕微鏡的に調べられた肝断片にはいつも、全く明瞭であつたことを除いては、急性黄色萎縮やそれを示唆するいかなるものも存在しなかつた。この障害は動物の健康に検出しうる影響を与えなかつた。

(ⅲ) 次に大ざつぱな給餌実験では、大用量でラットに食わせた種々の物質の中で、(あ)の物質は全く無毒であつた。四及び五塩化ナフタレンは一定の明瞭な肝障害を示した。五及六塩化ナフタレンは同程度の障害を発生させた。五及び六塩化ナフタレンに対する塩化ビフェニールの添加は毒性を増加させた。塩化ビフェニール単独では肝障害を生じたが、使用された用量では高度に塩素化されたナフタレンと混合したときよりも効果は少なかつた。またどの場合でも使用された化合物は肝の急性黄色萎縮を発生させなかつたが、観察された障害は適当な時間内に作用しうるような投与量が発見されるならば、急性黄色萎縮の発生する可能性もあるだろうことを示唆している。

(ⅳ) 右実験等に基づき、ドリンカーらは次のように結論している。すなわち、塩化ナフタレン類や塩化ビフェニールが全身性作用を有するという可能性に関して疑を残さない。皮膚に対する作用の場合と同じく、塩素化の度合が全身性の毒性を決定するように思われるし、また三塩化ナフタレンが全身性の作用をおこすに至るときも決して顕著なものでなく、また作用をおこさせるのは非常に困難であるということは、特筆すべきことである。また試験された化合物のすべてが肝蔵それも肝臓だけをおかすということはもつとも注目すべきことである。

しかしこれらの化合物はベルゼンや四エチル鉛など多くの化合物に比べて非常に毒性が低く、それらを使用する作業は保護もされやすい。できるかぎり四塩化ナフタレンが使用されるべきであるが、この化合物は痤瘡をひきおこすことがあるだろうし、もし非常に不注意に使われるならばそれ以上の障害もおこすかもしれないということがいえよう。更により高度に塩素化されたものが実用性が高いという理由でしばしば要求される解決法は十分に換気すること及びその物質の入つた容器周辺全体を十分に管理することにある等と述べている。

(ロ) 一九三九年の論文は「ある種の塩素化炭化水素類の可能な全身性中毒に関するその後の研究、特に作業室の空気中の許容濃度に対する示唆に関して」という標題で、塩化炭化水素類の全身性の作用に関連したその後の研究結果が発表されている。

それによると塩化ビフェニール(塩素含量六八%)について別にラットによる吸入実験を行なつた結果、意外にも殆んど無毒性であることが分つた。それで調査したところ、一九三七年の論文の際塩化ビフェニールとされていたもの((え)の物質)が実は塩化ビフェニールと塩化ジフェニルベンゼンの混合物であること、今回実験に使用したのが純粋の塩化ビフェニルであることが判明した。そして右塩化ビフェニルの空気中許容限界は四塩化ナフタレンの痕跡を含む三塩化ナフタレンの場合と同様、一〇mg/m3としており、これは他の塩化炭化水素類と比べると、最も緩やかなものである。

(2) 野村茂の研究(前記(1))について

〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

(イ) 野村茂の研究報告は、「クロルナフタリン中毒の本態とその防遏に関する研究」という標題で、第一報(昭和二四年九月)から第八報の三(昭和二八年三月)にわたり雑誌「労働科学」に掲載されたものである。

(ロ) 右報告の目的として、同人は第一報で、クロルナフタリン中毒はクロルナフタリンワックスに接することによつて特異な毛嚢痤瘡型の皮膚障害を来す疾患で、ペルナ病、クロルアクネ等とも称せられているものであるが、諸外国では第一次大戦後特に蓄電器、電線工場等でこの物質を使用して以来、多数の患者を見ているが、我が国でも昭和一〇年以後主として蓄電器工場で職業病として見出されたこと、クロルナフタリンの油溶性が本症の発生ならびに経過に本質的な関係をもつと考えられること、したがつて今回昇華性の物質が生体作用の本態であるかどうか、本物質は皮膚への作用のみで吸収作用はないかどうかなどを検討するために実験を行つた旨述べている。

(ハ) そして同人は主にクロルナフタリンについてそれをシロネズミの皮膚に塗布するなどの実験を行い、その経皮吸収機転をある程度明らかにしたのち、その第四報において今度は塩化ビフェニールなどの物質を同量のモノクロルナフタリンに溶かしてその溶液を大黒ネズミの背部剪毛部皮膚に塗布する実験を行つたところ、塩化ビフェニール群では、八日から二二日の間(平均16.6日)に全部のネズミが衰弱死亡した。そして病理組織学的所見では、右塩化ビフェニール群には上皮のはげしい増殖や皮下の炎症性変化がみられ、また肝臓について他群(モノクロルナフタリン群、保土谷ワックス群)ではむしろ萎縮性であるのに反し、塩化ビフェニール群では腫張が認められ、また他群には見られない中心性脂肪変性像があり、壊死の出現する例も見られた。さらに腎臓の脂肪変性、肺臓の著しい出血、副腎の類脂肪消失が認められた。

以上により同人は、塩化ビフェニールは皮膚局所に炎症を来し、上皮は増殖の傾向を示す旨、また吸収されて、肺、腎、肝及び副腎に一定の変化を来す旨結論した。

(ニ) そして同人は、第八報の二において、塩化ビフェニールは今回の実験に於ても極めて激しい肝臓障害作用を示し、動物は何れも激しい肝臓の中心性脂肪変性を来して早期に死亡している。ジョーンズらはこのものによる痤瘡の発生を記載し、ドリンカーらは動物実験によつてこのものの激しい肝障害作用を報じている、我が国の塩化ビフェニールを試験的に使用した工場では毒性を否定する向もあるが、これは皮膚障害のみを目標として考えていた為でないかと思う、長期間本物質を取扱うことについては今後細心の注意が必要である旨結論づけている。

(3) 大久保、松田の研究(前記(2))について

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(イ) 京都大学医学部の大久保武男は、昭和三三年「ビタミンB2代謝に及ぼすハロゲン化炭化水素化合物の影響に関する実験的研究」と題する研究報告を発表し、その中で四塩化炭素、塩化ビフェニール等について、その毒性が生体内のビタミンB2代謝にいかなる影響を与えるかなどを解明するために動物実験を行い、その結果、生体のビタミンB2代謝像にあたえる変化は塩化ビフェニール群に比し四塩化炭素群に強く現われる、しかしかかる障害をもたらす機転には、差異が認められない旨結論づけている。

(ロ) また京都大学医学部の松田武一は昭和三四年「塩化ビフェニールの脂質代謝に及ぼす影響に関する実験的研究」と題する研究報告を発表した。その中で家ウサギやマウスを用いてPCBの脂質代謝に及ぼす影響等を検討した結果、次のように結論づけている。すなわち、塩化ビフェニールは高脂血症をもたらし、中性脂肪、コレステロール及び燐脂質ともに増加するが、特に中性脂肪の増加が顕著であること、塩化ビフェニール障碍により肝肥大が起ること、塩化ビフェニールによる肝実質の変性は、病理組織学的には蠟様、水腫様ないし硝子様変性にまで進行しうることなどである。

(4) その他にも当時のPCBの毒性を伺わせる文献として、〈証拠〉によれば、労働学研究所の久保田重孝らの「日本の職業性皮膚障害」と題するもの、同じく久保田らの「塩化ビフェニール取扱い工場従業員の検診結果の関東、関西別比較検討」、及び昭和三〇年三月二二、二三日に開かれた化成品工業協会の第三一回工場衛生小委員会において労働科学研究所の本内正雄が行つた報告等が存したことが認められる。

(二) 〈証拠〉によれば、前記ドリンカーらの論文及び野村茂の研究についての評価ならびに当時のPCBについての認識などに関して次の事実を認めることができる。

(1) 九州大学医学部教授であつた田中潔は「ドリンカーはPCBの吸入実験を六週間つづけたが、生存ラットは外観上全く異常なく、殺して肝臓を調べて軽微な変化をみたに過ぎないし、野村の研究もいわば亜急性実験であつて慢性実験を行つていない。その他の文献をみても医学専門家の立場から長期微量の摂取を重視すべきであるという結論はどこからも引き出すことはできない。」と述べている。

(2) 九大油症研究報告中には「塩化ビフェニールの毒性に関する実験研究にはドリンカー、トレオン等のものがあるが、いずれも実験動物(主にラット)に塩化ビフェニールの蒸気を吸入させたものである。病理組織所見等を含むその成績によると塩化ビフェニールにはほとんどその毒性は認められなかつたとしている。」旨の記載がある。

(3) また米国政府PCB合同対策本部の報告によると、「初期の時代の、ポリ塩化ビフェニールの急性経口、経皮、吸入などの毒性研究は、多くの場合不確実な内容の混合物、あるいは化合物について行われていたために、その結果を明確に判断することはむつかしかつた」旨及び「約四〇年間にわたるPCBの広範囲の使用、環境問題としての注意の増大ならびに最近の哺乳動物による多くの毒性学的研究の増加にもかかわらず、人間に関しての決定的な急性、亜急性、慢性毒性については、ほとんど知られていない。」旨の記載がある。

(4) さらに米国政府PCB合同対策本部のメンバーであるエドワード・J・バーガー・ジュニアやジョン・L・バックリーも、当時のPCBの認識について「生物学的性質に関する知識は相対的に殆んどなく、しかもこの物質への曝露がどの程度健康に害をもたらすのかということは殆んど全く知られていなかつた。」旨あるいは「相対的に低い毒性を有しており、開放系用途に安全に使用でき、かつ人間が開放系用途でPCBに接触しても何ら人間の健康に害を与えるものではないというのが専門家の全体的な意見であつた。」旨を、またアメリカにおけるPCBの知識の発展として、「PCBのあらゆる種類の生物学的作用に関して経験上得られる情報の量は、一九七〇年初期になる迄は、極めて乏しかつた。」旨、したがつて「一九六九年以前において連邦政府のどの省庁もPCBの生産、使用あるいは廃棄を規制していなかつた。」旨を、さらにドリンカーらの報告について、「どの報告にも試験した塩化炭化水素類が動物組織に蓄積するとの証拠は全くなかつた。血液中、組織中のレベルの測定はなされなかつた。投与量、即ち摂取のレベルは記述されているが、排泄については何ら測定がなされていなかつた。」旨を、野村茂の研究について、「非常に貧弱な実験の、非常に貧弱な内容の報告であると思われる。事実著者によつて述べられた実験方法には科学的正当性が殆んどないと考えられ、報告結果を解釈することは極端に困難であるか、あるいは不可能である。」旨、それぞれ述べている。

(三) また環境汚染の面については、前認定の事実に〈証拠〉を総合すれば、カーソンが一九六二年に「沈黙の春」を著わし、有機塩素系農薬の安定性、難分解性、脂溶性等による危険性を指摘し、このような化学薬品による自然均衡の破壊について鋭く警告したこと、またPCBについては本件油症事件以前にスウェーデンのイェンセンがカワカマスの体内よりPCBを発見して以来その環境汚染が問題となりはじめたこと、しかしながらPCBによる環境汚染について多くの研究者による本格的な研究が始められたのはアメリカでは一九六八年(昭和四三年)のライズブロー以後であり、また我が国でも昭和四五年に愛媛大学の立川涼らによつて研究が開始されて以後のことであつたことがそれぞれ認められる。

したがつて本件油症事件当時環境汚染という面からもPCBについては未だ大方の注意をひいてはいなかつたということができる。

(四) 以上の認定によれば、昭和四三年以前のPCBの毒性に関する研究は主に化学工場等の作業員の労働衛生という観点から、動物実験によりPCBの吸入、経皮等による影響について検討されたものであつて、右のうちドリンカーらの論文は、前記のとおり一九三七年の論文で塩化ビフェニールの毒性についてかなり強いものとしていたにもかかわらず、一九三九年の論文では純粋の塩化ビフェニールは殆んど無毒であつたと訂正しているのであり(尤も〈証拠〉によれば右論文自体PCBの毒性を全く否定しているものではないことは窺われる。)、また野村茂の研究も使用された塩化ジフェニールの塩素含有量が不明であつたり、ネズミへの塗布量、塗布面積等の実験条件も十分明らかではなく、極めて不十分な研究であつたといわざるをえないものである。

したがつてアメリカなどにおいてもPCBは大量に生産され、食品工業の熱媒体としても使用されていたものであり、当時の社会一般の評価認識ではPCBはさほど危険な物質とは考えられていなかつたということができる。

5〈編注、4―欠〉本件油症事件以前の社会一般のPCBに関する評価認識は前示のとおりであり、また〈証拠〉によれば、被告鐘化もPCBの毒性に関して、その開発企業化当時、さほど危険な物質とは考えていなかつたことが認められる。

しかしながら、仔細に検討すれば、右のような評価認識の根拠になつたのは、信頼するに足りる研究がなされなかつたことにあつて、PCBが危険性の低い物質であることを積極的に立証するような信頼に価する研究に基づくものではなく、現に野村論文も実験の条件が明らかでないためそのまま通用するものではないとしても、少なくともPCBには無視し得ない毒性があることを示唆するものと受取ることは不可能ではない。

ところが被告鐘化は我が国で初めてPCBの生産を開始した化学企業であるから、その安全確保義務に基づき、単に当時の社会一般の認識に安易に依拠することなく、明らかではない点については自ら進んでPCBの人体、環境に対する影響について予め充分に調査研究し、その結果知りえたPCBの特性やその取扱方法を需要者に充分周知徹底させるべき注意義務があり、仮に充分な調査研究の結果なおその安全性が確認できない場合には、少なくとも人体に危険を及ぼすおそれの高い分野に対しては、PCBを販売すべきではないという注意義務が存したものである。

加えて、PCB毒性に関する右諸研究は主として急性ないし亜急性毒性に関するものであつたとみるべきであり、PCB自身の化学的特性である脂溶性、難分解性、熱安定性等がPCBの危険性の原因となつてるのは前記のとおりであつて、被告鐘化自身PCBが右特性を有すること充分了知していたことは弁論の全趣旨により認めることができるのであるから、この観点からの調査研究をつくすべき義務は大きかつたということができる。

6そこで被告鐘化に右注意義務違反が存したかどうか検討するに、右被告が昭和二九年にPCBを開発、企業化するにあたり、ドリンカーらの論文、野村茂の研究等の文献を検討したことは前記のとおりであるが、それだけで安易に危険性のさして高くない物質であると信じてしまい、右研究の不十分な点、不足な点を補うため自ら動物実験を行うなり、あるいは他の研究機関等に実験を委託するなりして自己の費用、努力でその安全性を検証したことについては本件全証拠によるもこれを認めることができない。そしてこのような努力をすることなく、当時の産業界、学界等社会一般のPCBに関する前記認識に容易に依拠して、PCBを食品工業の熱媒体として、販売を推し進めたことには合成化学企業としての注意義務違反があつたというべきである。

けだし、食品工業の熱媒体としてPCBを使用する場合には、PCBと食品とが薄い金属板を隔てて相接する状態となることは避けられず、またPCBはそれ自体金属を腐食することは殆んどないが、後記8認定のとおり沸点近くなると塩化水素を発生させ、それが水に溶けて金属腐食性を有する塩酸が生ずる可能性があるうえ、PCBはその性質、取扱等について一般的に専門的知識を有しない食品製造業者によつて管理されざるを得ないから、金属の腐食その他の原因によりPCBが食品中に混入して人体に対する影響の生ずる危険性が大きいといえ、そのことは被告鐘化に予見できたというべきであるからである。

7さらに被告鐘化にはPCBの当時の一般的知見さえ充分需要者に伝達しなかつた注意義務違反があつたことを見逃すことができない。

当時PCBは特に毒性の強い物質とは考えられていなかつたとしても、もちろん無毒ではなく、労働衛生面からの注意は必要とされていたものである。

カネクロールの毒性に関する被告鐘化の指摘、警告については〈証拠〉によれば次の事実を認めることができる。

(1) 被告鐘化は本件油症事件以前にカネクロール販売のための資料として数種のカタログないし技術資料を作成していたものであるが、昭和三二年に作られたカネクロールの一般的性質及び用途についてのカタログ(甲第四一号証)には専ら電気特性、溶解性、安定性、不燃性などといつたカネクロールの物理的化学的特性やその用途などが記載されているにすぎず、カネクロールの取扱い上の注意などには全くふれられていなかつた。またその後作成された熱媒体用のカタログ(甲第四〇号証)も同様にその特性が強調されているにすぎなかつた。

(2) そして被告カネミが参照したとされている熱媒体用のカタログ(甲第三二、三三号証)では、その「まえがき」においてカネクロールが不燃性、非腐蝕性の液体で化学的に非常に安定で、液の損耗もなく、操作も簡単かつ設備費も有機気相媒体と比較して安価であるといつた秀れた特徴をもつている旨の記載があり、取扱い上の注意については末尾に「取扱の安全」の項で「カネクロールは芳香族ビフェニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持つていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし、下記の点に注意していただく必要があります。(1)皮膚に付着した時は石鹸洗剤で洗つて下さい。もし付着した液がとれ難い時は、鉱油か植物曲で洗い、その後石鹸にて洗えば完全におちます。(2)熱いカネクロールに触れ、火傷した時は、普通の火傷の手当で結構です。(3)カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。カネクロールの熱媒装置は普通密閉型で、作業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂いがする時は装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。」と記載されていた。

(3) 一方三和油脂の岩田文男は被告鐘化よりカネクロールの売りこみをうけた際、その毒性について動物実験を行つた結果、全然支障がないことが判明したということを聞いたものであり、また熱媒装置の設計者であつた斎藤晴彦も同じくカネクロールの毒性について被告鐘化より何も聞いていなかつた。

以上の事実を認めることができる。

他方、被告鐘化が労働衛生上の観点からPCBの危険性を指摘した論文等を検討していたことは前記のとおりであり、そして〈証拠〉によれば被告鐘化はその衛生管理室において、労働科学研究所の検診結果や動物実験の結果を引用した文書を作成し、その中でカネクロール製造現場における障碍予防対策として「(1)グルサン錠を一ケ月一人当り六〇錠宛配布し、カネクロール蒸気の曝露状況に応じ服用させている。(2)保護クリーム(カネクタンA)の使用により、カネクロール蒸気による皮膚障害の予防と、カネクロール付着の際、簡単に洗去出来るよう計つている。(3)カネクロールは通常の石鹸では洗去しにくいので、産業洗剤を設置し、皮膚への付着物を直ちに洗去するようにしている。(4)素手にてカネクロールを扱わないよう注意すると共に、カネクロール蒸気への曝露時間を出来るだけ少くするよう心掛けている。また環境改善には常に留意している。」旨記載していることが認められ、右記載と前記カタログ中の「取扱の安全」の記載とを対比すれば、被告鐘化が当時知りえた事実を需要者に対し充分に指摘警告していないことは明らかなところであり、後者はカネクロールの毒性が実用上問題にならない程度であることを冒頭で強調することによつて、これを読む者にその毒性を過少評価させることになり、前記営業担当社員の販売の際の説明と相俟つて、何時の間にか需要者をしてカネクロールはほとんど無毒であるとの誤つた認識を植えつけ、当時の毒性についての一般的知見からみても全く考えられないようなつぎのような安易な取扱いをさせることになつたものとみるのが相当である。

すなわち、〈証拠〉によれば、当時の食品工業界におけるカネクロールの使用などに関して次の事実を認めることができる。

(一) 三和油脂の天童工場長であつた花輪久夫は、カネクロールが安全なものであると考えていたのであり、カネクロールを取扱う従業員に対しても手袋、マスクの着用といつた特段の注意をしたことはなかつた。

(二) また日本精米製油株式会社に勤務していた内藤実もカネクロールが人体に有害であることは少しも知らなかつたので、カネクロールが手についても気にとめたこともなく、素手で扱つたこともあり、手にカネクロールがついたときはぼろぎれで拭いたり、石鹸で洗う程度であつた。

(三) さらに不二製油株式会社に勤務していた中山貞雄も熱媒体の毒性について考えたこともなく、業界でそのことが問題にされたこともなかつた。

8被告鐘化は食品製造販売業者が通常の注意をして熱媒装置の保全管理をしておれば、熱媒体としてのPCBが食品に混入するような事態が起る筈はないのであるから、被告鐘化がPCBを熱媒体として販売したことに関し右6、7認定の注意義務違反は存しない旨主張する。

確かにPCBが熱媒体として使用されるものであつて、当然には食品に添加して使用されるものではないから、食品製造業者において熱媒装置の保全管理を充分に行つていればPCBが食品に混入する事故は殆んどの場合防止することができるといえよう。

ところが、〈証拠〉を総合すると、本件油症事件に関しつぎの事実を認めることができる。

六号脱臭缶のカネクロール蛇管にピンホールが生じたのは、三和油脂の岩田文男が本件脱臭装置を考案するに際しては、カネクロールの過熱による脱塩酸を避けるため、加熱炉の構造や加熱炉一基には脱臭缶は二基までということを設計の基本思想としたのに、被告カネミは岩田に相談も了解も受けることなく、また自ら工学的な検討を加えることもなく加熱炉を改造して、かえつて熱効率を悪化させ、加熱炉は増設しないで脱臭缶のみを増設して、一基の加熱炉で三基以上の脱臭缶を稼働させたため、加熱炉内でカネクロールが過熱する状態が続いて塩化水素が発生し、他方カネクロールを一時貯蔵しておく地下タンクの構造に欠陥があつて水で床面を掃除する際余水が地下タンクに流下し、カネクロールの循環系内で右塩化水素が水分に溶けて塩酸が発生し、これが長期間かかつて六号脱臭缶の蛇管を腐食させたものである。

そして被告カネミは昭和三六年四月から右装置を使つて操業しながら、昭和四三年一月まで一度もカネクロール蛇管を含む装置の細部につき点検、整備を行つていなかつたため、長期間かかつてできたピンホールを事前に発見することができなかつた。

以上の事実が認められ、ピンホール説によれば、前記のとおりピンホールからカネクロールが漏出したものであつて、装置を使用して食品を製造する業者としての被告カネミの過失はまことに重大なものといわざるをえない。

また、何故被告カネミがライスオイルにカネクロールが混入したことを知りながら、単に再脱臭しただけでカネクロールが完全に飛んだかどうか確認しないまま(工作ミス説)、或はカネクロールの混入を知り得べき状況にありながら、混入していないかどうかを確かめないまま(ピンホール説)、汚染されたライスオイルを出荷したのか、一見甚だしく奇異な感じを受けることは確かである。

しかしながら、当時PCBが社会一般において充分知られていない物質であつたという事実に加え、被告鐘化がその販売の対象とした食品製造業者に零細で装置の保全管理や食品の安全性の検査等に充分な専門的知識を有する従業員を擁することのできない企業が多いという前述の事情や被告鐘化がPCBの毒性に関する情報の伝達も不充分で需要者をしてこれを過少評価させる可能性が大きかつた事情(現に前記のとおり食品工業界では当時カネクロールについて安易な取扱いがなされていた。)、カネクロールが食品に混入した場合の検出方法についての知識を需要者に知らせなかつた事情(〈証拠〉を総合して認められる。)などを併せ考えると、被告鐘化としては、食品製造業者の安易な取扱いによつてPCBが食品中に混入し、その結果人体被害の生ずるおそれがあることを予見できなかつたとはいえないから、食品製造業者の保全管理に期待できる地位にあつたからといつて直ちに調査研究不充分のままカネクロールの販売を促進した点及びPCBの毒性に関して需要者に充分伝達しなかつた点の過失責任を免れることはできない。

9以上のとおり被告鐘化にはPCB(カネクロール)について充分に調査研究をつくすことなく、人体被害発生のおそれがあることの予見できる食品業界に右カネクロールを販売した過失ならびに右販売にあたつて当時右被告が知りえたPCBの毒性について充分情報を提供しなかつた過失が存したものというべきである。

10被告鐘化は、本件事故は被告カネミの工作ミスまたは無謀改造、無謀運転が原因になつて起つた事故であり、しかも食油にカネクロールが混入していることを知り、また少くとも強く疑うべき事情がありながら右汚染油を出荷したことにより生じたものであるから、被告鐘化の前記過失と本件油症被害との間には相当因果関係がないと主張する。

ところで、本件事故につき被告カネミに被告鐘化主張の重大な過失が存したことは前示のとおりであるところ、もし、被告鐘化にとつて右のような被告カネミの重大な過失が全く予見できないようなものであつたとすれば、被告鐘化の過失と本件事故との間には相当因果関係がないと評価しえよう。しかしながら、被告カネミ、同鐘化の責任に関しこれまで認定してきたところによれば、被告カネミが重大な過失をおかしたのは被告鐘化がPCBの安全性について充分な調査研究をつくさない状態で食品業界にPCBを販売し、また販売をなすにあたつて充分な警告をつくさなかつたことに加え、被告カネミも他の多くの食品製造業者と同様零細な業者で脱臭装置の保全管理やPCBの取扱いについて専門的知識を有する従業員を擁していなかつたことに起因していると認められるのであつて、被告カネミに対しPCBを供給する食品製造関連業者として食品の安全性に対しても相当の関心を払うべき立場にある被告鐘化にとつて被告カネミの過失は重大なものであつたといいうるにしても、全く予見しえないものであつたとはいいえず、したがつて被告鐘化の前記過失と本件油症被害発生との間には相当因果関係があるといいうべきものである。

11以上の次第で被告鐘化は民法七〇九条に基づき、原告らが被つた後記損害を賠償する責を負うものである。

第八  被告国の責任

一  被告国の第一の責任について

昭和二九年国産化が始つて以来PCBが大量に生産され、消費されてきたこと、PCBが本件のような油症被害をもたらし、更に環境汚染およびそのための人類の健康への影響が重視されるようになり、これを契機にPCBの生産販売が中止され、化学物質の審査および製造等の規制に関する法律が制定されてPCBの生産販売が法的に規制され、OECDの理事会もPCBの使用禁止決定をしたいきさつについてはすでに認定したところである。

原告らは国民の健康の確保を至上のものと宣言する憲法の精神からも、本件のような油症被害の発生する前に、被告国は関係法令を駆使し、或は法的根拠がなければ行政指導によつてPCBの大量生産大量使用を規制すべき義務があつたものであつて、その懈怠は国家賠償法上違法であると主張する。

ところで、国の法律上の権限の不行使が国家賠償法上の違法性を帯びるのは、後述のとおりそれが著しく合理性を欠く場合に限られるものと解され、右に著しく合理性を欠く場合というのは、(1)国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた危険のあること、(2)行政庁において右危険の切迫を知りまたは容易に知り得べき状況にあること、(3)行政庁がたやすく危険回避に有効適切な権限行使をすることができる状況にあることの要件を満たす場合をいうものと解すべきである。

ところが、本件油症事件発生の昭和四三年前においては前示のとおりPCBは産業界はもとより社会一般においてさほど毒性の強い危険物質とは認識されておらず、環境汚染問題にしても、外国の先駆的研究者の指摘はすでになされていたとみることはできるとしても、少なくとも我が国において世間一般の注目をひき本格的な調査研究が始められたのは昭和四五年以降であつたものであるから、その以前である昭和四三年当時被告国にPCBの環境や人体に対する危険牲についての調査研究義務を課することはできず(この点PCBを我が国で始めて生産販売した被告鐘化とは異るものというべきである。)、したがつて被告国がPCBの人の健康に対する危険性の切迫を容易に知るべき状況にはなかつたものというべきであるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの主張は採用できないところである。

二  被告国の第二の責任について

原告らは被告国の第二の責任として、食品による危害から国民の生命、健康を守るべき責任をあげる。しかしてその具体的内容は、行政庁が食品衛生法上の諸権限の行使をなさなかつたことが違法であるというのであるから、以下公務員の不作為と国家賠償責任について検討する。

1憲法一三条はすべて国民は個人として尊重されるのであり、生命、自由、幸福追求に対する権利は国政の上で、最大の尊重を必要とする旨規定し、また二五条は一項で国民の生存権を基本的人権として保障し、これを受けて二項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定している。

右憲法の趣旨よりすれば、国としては国民の生命、健康に対する安全を確保する責務を負つているというべきである。そして右責務を具体化する立法政策の実行として、衛生行政の面に関して飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的として昭和二二年に食品衛生法が制定されているが、同法は右目的達成のために、厚生大臣や都道府県知事、政令指定都市の市長らに、人の健康に害のあるおそれのある新しい食品の販売禁止、公衆衛生の見地からする食品の製造方法等の基準、食品等の規格の設定、器具等の規格、その製造方法の基準の設定、営業を行う者に対する報告、臨検、検査、試験用の収去等の種々の規制権限を付与している(四条の二、七条、一〇条、一七条、二二ないし二四条等)。右規定の文言からすれば、この規制権限を当該行政庁が行使するか否か、またどのような方法で行使するかは、原則として専ら当該行政庁の専門的技術的見地に立つ裁量に委ねられているというべきであり、右のような裁量に基づく行政庁の権限不行使は、当、不当の問題を生ずることはあつても、原則として違法の問題を生ずることはないというべきである。

しかしながら、具体的事案の下で、当該行政庁が右規制権限を行使しないことが著しく合理性を欠くと認められる場合においては裁量の余地はなくなり、行政庁は規制権限を行使すべき法律上の義務を負い、その不作為は国家賠償法上違法なものとなり、国又は地方公共団体はその結果生じた損害を賠償すべき責任があるもの、と解するのが相当である。そして権限不行使が「著しく合理性を欠く」かどうかは、(1)国民の生命、身体、財産に対する差し迫つた危険のあること(2)行政庁において右危険の切迫を知り、また容易に知り得べかりし状況にあること(3)行政庁の方でたやすくその権限を行使することができ、その権限行使が危険回避にとつて有効適切な方法であること、以上の要件が存在するにもかかわらず、なお行政庁が権限を行使しない場合であるかどうかにより判断すべきである。

被告国、同北九州市は、食品衛生行政における厚生大臣らの権限は、公益目的達成のため、食品製造販売業者との関係において与えられているのであるから、右権限行使の結果消費者である個々の国民が利益を享受することがあつても、右利益は反射的利益にすぎず、したがつて厚生大臣らは単に反射的利益を受けるにすぎない特定の個人たる原告らに対し行政権限を行使すべき義務を負うものではない旨主張する。しかしながら、行政庁の権限の行使、不行使の是正を求める抗告訴訟において消費者たる個々の国民に原告適格が認められるかどうかを問題にする場合と異なり、本件において原告らは、食品衛生行政上の権限不行使により現にその固有の法益たる生命、身体を侵害されたとして、国家賠償法に基づきその損害賠償を求めているものであるところ、同法上当該公務員の食品衛生行政上の不作為が違法(同法上違法と評価される場合があり得ることは前述のとおり)なものである以上、国はそれによつて生じた損害を賠償すべきであり、右国の責任の有無は食品衛生行政により国民が受ける利益が関係法律により直接保護された利益か反射的利益にすぎないかどうかということとは関係のないものである。よつて右被告らの主張は理由がない。

以上のことを前提として、原告らが主張する各公務員の不作為の違法性について判断を進める。

2原告らは内閣が政令で食用油脂製造業を営業許可業種に指定しなかつたことが違法である旨主張する。

食品衛生法二〇条は、「都道府県知事は、飲食店営業その他公衆衛生に与える影響が著しい営業であつて、政令で定めるものの施設につき、業種別に、公衆衛生の見地から必要な基準を定めなければならない。」と規定し、また同法施行令五条は、右施設について基準を定めるべき営業を指定しているところ、〈証拠〉によれば昭和四三年当時食用油脂製造業は右営業許可業種に指定されていなかつたこと、その後昭和四四年七月一五日に右営業が追加指定されるに至つたことが認められる。

右営業許可業種指定の制度は、食品の安全を守るために、多くの食品関連業者のうち、公衆衛生に与える影響が著しい、すなわち飲食に起因する健康被害を発生させるおそれが比較的大きな営業について、許可制にして右営業をその開始の時点で規制するとともに、その後の営業監視を適正にしていこうとするものである。

ところで〈証拠〉によれば、食用油脂に基く中毒その他の事故は絶無に近く、食用油脂製造業は、食品衛生上問題のある、すなわち食品事故を起す可能性のある営業とは考えられていなかつたことが認められる。

また、〈証拠〉によれば、化学工業の発展、食品製造工業技術の進歩に伴い、昭和二九年ごろから食用油脂製造工程でPCBを始めとする有機化学薬品が熱媒体として使用され始め、これが急速に普及したことは認められるけれども、前掲証拠によれば、少なくとも本件事故までは食品に熱媒体が混入する事故などが発生したことはないことが認められ、またPCBが他の化学薬品に比し特に毒性の強い危険物であるとの一般的認識のなかつたことは前認定のとおりである。

したがつて、内閣が食用油脂製造による国民の健康への危険が切迫していることを知り、または容易に知り得べき状況にはなかつたものというべく、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

3次に原告らは、厚生大臣が食品衛生法七条一項、一〇条一項の権限を適切に行使して、PCBを食品工業での熱媒体として使用することにより、国民が被害を受ける危険性が客観的に存在した以上、PCBの食品工業での使用について禁止をするなり、適当な規制をするなりして、被害の発生を防止すべき義務があつた旨主張する。

そこで検討するに、右各規定が厚生大臣に食品の製造方法等の基準の設定や器具等の規格の設定等の規制権限を付与した規定であることは明らかである。

ところで原告らの挙示する条文のうち、七条一項は、食品もしくは添加物の製造、加工、保存等の方法につき基準を定める旨の規定であるが、右規定は食品(ないし添加物)自体のもつ危険性を考え、その安全性を担保するための基準や食品(添加物)がどういう成分を有していなければならないかといつた、食品(添加物)自体に内在する問題点に関する基準の設定を予想した規定と解すべきであつて、食品へ有毒又は有害な物質が混入されることを防止するための基準は当然には右規定に含まれないものと解すべきである。また一〇条一項の「営業上使用する器具若しくは容器包装若しくはこれらの原材料」というのも、食品を調理、加工するにあたつて用いる器具や食品販売のための容器、包装等食品の加工、保存過程において食品に直接接触することの予想される器具等を指すと解すべきであり、熱交換器や脱臭装置自体の食品との接触部分については同条の対象とはなりうるとしても、いかなる熱媒体が使用されているか等は同条の基準に含まれないというべきである(熱媒体が食品と直接接触しない構造であることは前記のとおり)。

このことは食品衛生法の規定上(すなわち、七条は第二章「食品及び添加物」の中に、また一〇条は第三章「器具及び容器包装」の中に規定されており、いずれも営業施設に関して規定する第六章に設けられていない。)からも窺えるばかりでなく、〈証拠〉により認められる食品、添加物等の規格基準(昭和三四年一二月二八日厚生省告示第三七〇号)の具体的内容、並びに食品衛生法が昭和四七年に改正され新たに一九条の一八が追加されたが、その一項は「厚生大臣は、食品又は添加物の製造又は加工の過程において有毒な又は有害な物質が当該食品又は添加物に混入することを防止するための措置に関し必要な基準を定めることができる。」という規定であり、これを受けて「食品又は添加物の製造又は加工の過程における有毒な又は有害な熱媒体の混入防止のための措置の基準」(昭和四九年一二月四日厚生省告示第三三九号)が制定されたという経緯などからも明らかであるというべきである。

したがつて、昭和四三年以前において、PCBの食品工業での規制基準を定めるかどうかは専ら立法政策の問題であつたのであり、厚生大臣の規制権限不行使の責任を問題とする余地はなかつたものである。

よつてその余の点を判断するまでもなく、原告らの右主張は理由がない。

4原告らは、福岡県知事や北九州市長が被告カネミの営業許可ないし更新許可を行う際に、PCBを熱媒体として使用していた脱臭工程について、何ら安全を確認せず、また何の条件も付さなかつたことが違法である旨主張する。

そこで検討するに、〈証拠〉を総合すると、被告カネミのような食用油脂製造業は昭和四三年以前には営業許可業種とされていなかつたが、たまたま被告カネミでは製品油をびん詰にして販売していたことから「かん詰又はびん詰食品製造業」として営業許可の対象となつていたものであること、右被告は昭和三六年に福岡県知事より営業許可を受け、その後北九州市が政令指定都市になつたため、同三九年、同四二年に北九州市長より営業更新許可を受けていること、食品衛生法施行規則二〇条によれば、営業許可申請書には営業設備の構造を記載した図面を添付することになつており、またこの場合には食品衛生監視員が現地調査に赴き、施設基準に合致するかどうかを調査し、許可すべきかどうかの副申を提出し、これが福岡県知事らの許否の判断の基礎となること、右営業申請の際申請書に添付された図面には脱臭設備の詳細特に熱媒体に何を使用するか等の記載がなく、被告カネミに赴いた食品衛生監視員の別府三郎は、右現地調査の際、同被告の脱臭工程等について全然関心を持たず、一応全工程は見たものの、特に添加物が規格に合致するか、油の製造工程中油が露出する部分で異物混入がない施設になつているか、最終のびん詰工程で古いびんの洗浄、殺菌が行われているか等を注意し、それが安全であると確認されたので許可すべきであるとの副申をつけたこと、したがつて同人は脱臭装置の熱媒体としてカネクロール四〇〇が使われていることは全然知らなかつたことがそれぞれ認められる。

ところで、食品衛生法は二〇条で、都道府県知事は政令で定める施設につき、業種別に公衆衛生の見地から必要な基準を定めなければならない旨規定し、また二一条二項で許可申請をした食品業者の施設が右基準に合うと認めるときにのみ、都道府県知事(政令指定都市では市長)は営業許可をしなければならない旨規定している。そして同法二〇条による基準について、丁第七号証によれば、福岡県では食品衛生法施行細則が定められており、当時の九条及び別表には、営業施設の基準として、食品製造業全般に関する「共通基準」と、各種営業に個別な「特定基準」とが設けられていたこと、右共通基準中には、二項に「食品取扱設備」についての基準が定められていること、またかん詰びん詰食品製造業の特定基準中には「異物の混入を防除できる設備が設けてあること」という規定があることがそれぞれ認められる。

右「食品取扱設備」とは具体的にいかなるものを指すかは必ずしも明らかではないが、食品に画接接触するか否かを問わず、食品の製造、保管、運搬等に使用する一切の器具、機械等を指すものと解するのが妥当であり、被告カネミの脱臭装置もこれにあたるものということができる。したがつて、添付図面に脱臭装置の構造を記載する必要がないとはいえず、また食品衛生監視員としては一般的には右脱臭装置について関心を向ける必要がなかつたとはいえない。しかしながら、前記のとおり、当時脱臭工程よりの熱媒体の漏出による食品への混入事故の経験などなく食油製造業は一般に安全な業種と考えられていたこと、被告カネミはかん詰びん詰食品製造業として営業許可を受けたものであり、かん詰びん詰をしていなければ食用油脂製造業は営業許可の対象とはされていなかつたこと、脱臭工程においては油が直接に熱媒体と接触するような構造ではなかつたことなどの諸事情を考慮すれば、当時食品衛生監視員が現地調査の際、專らびん詰工程について関心が向き、脱臭工程に関心がいかなかつたとしてもやむを得なかつたと考えられ、したがつて右前記のような図面が添付されているにすぎない申請書に基き、右食品衛生監視員の副申をうけて、営業許可ないし営業更新許可をなした福岡県知事や北九州市長の行為は、著しく不合理なものとは言い得ず、結局原告らの右主張もまた理田のないところである。

5原告らは食品衛生監視員が被告カネミについて(1)営業許可や更新許可の際の実地検査(2)施設の監視(3)製品検査、をそれぞれ適正に行わなかつた違法性がある旨主張する。

食品衛生監視員とは食品衛生法の目的を達成するために不可欠な食品衛生監視及び指導、営業の許可等の事務並びに同法一七条一項に規定する営業場所等の臨検、食品等の検査、試験用のための収去などの事務を行うために国や都道府県及び保健所を設置する市に置かれた公務員である(同法一九条一項)。したがつて食品衛生監視員は公衆衛生の向上及び増進に寄与するという趣旨にそつて、忠実に職務を遂行すべき責務のあることは明らかなところである。しかしながら食品衛生監視員の重要な職務である右食品衛生監視は、食品製造業者が日常的に行つている(ないし行うべき)食品に関する自主管理を補完する立場にあるものにすぎず(けだしいかなる製造工程で、どのような原料、工業薬品、添加物等を使用して食品を製造しているかについては、本来当該業者が最もよく熟知しうる立場にあるからである。)、よつて右監視は二次的、後見的なものにすぎないこともまた明らかである。

以上の点を前提にして、以下食品衛生監視員の職務につき検討するに、まず(1)の営業許可や更新許可の際の実地検査については前項で示したとおり、右食品衛生監視員が脱臭工程についての調査や安全性の確認をなさなかつたとしてもやむを得なかつたというべきである。

次に(2)の施設の監視についてみるに、食品衛生法一九条三項は、「市長は政令の定めるところにより、食品衛生監視員に各営業の施設等について、監視又は指導を行わせなければならない。」と規定し、これを受けて同法施行令三条はかん詰びん詰食品製造業について年間一二回の監視又は指導の回数を定めている。しかるに〈証拠〉によれば、被告カネミを当時担当していた食品衛生監視員である別府三郎は、年二、三回の監視しかなさなかつたことが認められる。

ところで、右施行令の定める監視回数は同条で規定するとおり「基準」であるから、右回数の規定は訓示規定と解すべきであり、したがつて食品衛生監視員が当該監視対象となる営業の性質、従前の事故発生の有無、監視対象施設の数と食品衛生監視員の人数等の諸事情を考慮して、右回数を下回る監視しかなさなかつたとしても、直さに右監視が違法なものとはいいえないことは明らかなことである。そして〈証拠〉によれば昭和四三年一二月末当時被告北九州市の食品衛生監視員の人数は二九名であるのに対し、許可を要する施設数だけでも一万三、三九五であつて、監視員一人あたりの施設数は四六二であつたこと、右一人あたりの施設数については、被告北九州市が他の政令指定都市(横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)と比較して最も少ないものであつたこと、しかしながら被告北九州市の場合であつても、監視員一人あたりの右施設数が前記のとおりであつたため、監視については重点的、効率的に行う必要があつたこと、昭和四三年当時かん詰びん詰工程を経ない食用油製造業の監視指導回数は年間二回と定められていたこと、本件事件後食用油製造業が営業許可を要する業種と定められたが、その監視指導回数は年間六回と規定されていること、そして何より本件油症事件以前食用油製造業はさほど安全性に問題のある営業と考えられていなかつたことなどの諸般の事情によれば、右被告カネミに対する監視回数が基準よりも少なかつたとしても、違法なものと言い得ないことは明らかである。

さらに監視の対象については、〈証拠〉によれば、被告カネミの場合の具体的監視、指導の際の重点項目は、食用油が本来安全度の高い食品と一般的に思われていたために、異物混入や細菌汚染の可能性のあるびん詰工程と、製造工程中で使用される添加物(ノルマルヘキサン、メタ燐酸ナトリウム、水酸化ナトリウム、酸性白土、シリコン)の使用状況などであつたこと、また脱臭工程については食用油が密閉されたパイプの中を流れているために、異物の混入や細菌汚染が考えられないために、監視の重点項目とされていなかつたことがそれぞれ認められる。

しかしながら前記のとおり、当時熱媒体の漏出による食品への混入事故の経験がなかつたことやPCBがさほど危険な物質とは認識されていなかつたことなどからすれば、右食品衛生監視員の監視の対象についても責に帰すべき点はなかつたというべきである。

ところで〈証拠〉によれば、徳島県の森永砒素ミルク事件や宇部のアミノ酸しよう油による砒素中毒事件が発生した際、厚生省は前者については昭和三〇年八月三〇日付で、後者については同三一年二月一六日付で、それぞれ各都道府県知事等に対し、乳製品工場に対する食品衛生監視を原料の入手、生産過程等にわたつて総合的に厳重に監視することないし化学薬品類を使用する食品又は添加物の製造所における右薬品類の重点監視などを指示する旨の各通達を出していることが認められる。右各通達によれば、本件事件当時食品衛生監視員は食品製造に用いられる化学薬品類について、監視対象とすべきであつたと言い得るかもしれない。しかし前記のとおり右各通達はいずれも前記事件の反省としてなされたものであるところ、〈証拠〉によれば、右森永砒素ミルク事件は食品に混入されるものとして予定されていた物質に不純物が混入したために生じた事件であつたこと、また当時右各通達はいずれも化学薬品のうち添加物的使用を念頭においたものとして理解されていたことが認められ、いずれにしても右各通達から直ちに化学薬品の熱媒体的使用についての具体的危険性が警告されたものとまでみることができず、よつて右通達は前示結論を左右するものではない。

また監視の方法について、原告らは被告カネミの作成している施設の保守点検の事蹟、製品検査の事蹟等を監視すべきであつた旨主張するが、既に前記のとおり、食品衛生監視員が熱媒体を使用する脱臭装置を監視の対象としなかつたことはやむを得なかつたものであるから、右監視に際して脱臭装置等の保守点検の事蹟などの監視に思い至らなかつたとしても、右食品衛生監視員には任務懈怠はなかつたものというべきである。

最後に(3)の製品検査の点について検討するに、丁第三三、三四号証及び弁論の全趣旨によれば、食品衛生監視員は油症事件発生以前被告カネミの製品に関して、食品衛生法一七条一項の試験の用に供するための収去をなしたことがなかつたことが認められる。しかしながら、同条の試験用の収去は「必要があると認めるとき」、すなわち当該営業により被害の生じる具体的危険性の存するときに行われるものであつて、右危険性がないにもかかわらず、右権限を行使することはできないと解せられるところ、前記のとおり、食用油脂製造業は従前さほど危険な業種とみられておらず、また食品衛生監視員にはPCBが熱媒体として使用されていることの認識がなく、それまでに熱媒体が食品中に混入するという事故もなかつたのであるから、結局試験用の収去をなさなかつた食品衛生監視員の不作為はこれまた違法とは言い得ないものである。

三  ダーク油事件について

原告らは、被告国がダーク油事件の発生した際、食用油に関して何ら適切な対応をなさなかつたことについて、右被告に責任がある旨主張する。

1ダーク油事件とは、前記のとおり昭和四三年二月二〇日ころから三月上旬までの間、西日本各地で鶏(ブロイラー)が大量にへい死した事件であるが、その後の調査の結果、右事件が油症事件と同様、ダーク油にカネクロール四〇〇が混入したことによつて生じたことが明らかとなつたものである。

そしてダーク油はライスオイル製造工程のうち、脱酸工程で分離されたフーツが硫酸で分解されてできるものであるが、右ダーク油中にカネクロール四〇〇が混入した経路については、脱臭工程で生ずる飛沫油、あわ油が右ダーク油中に混入されたためか、汚染油の一部がそのままダーク油中に投入されたためかの何れかであることは前認定のとおりである。

2〈証拠〉を総合すると、ダーク油事件についての行政の対応などに関して次の事実を認めることができる。

(一) 福岡肥飼検は昭和四三年三月一四日、鹿児島県畜産課より同県日置郡下のブロイラー団地に原因不明による鶏のへい死事故が多発していること、その原因が給与している配合飼料にあるらしいことなどの電話報告をうけ、翌一五日農林省畜産局流通飼料課に右事故の発生を報告するとともに、右配合飼料のメーカーである東急エビス産業の製造課長より、同社製造の配合飼料Sブロイラー、Sチックの二銘柄が右事故の原因物質とみられること、右二銘柄の製品、生産、出荷、原料の品質状態等について報告をうけたが、その際同銘柄が他の銘柄と特に異つた原料としているものは、被告カネミ生産のダーク油であることが判明した。そして福岡肥飼検は東急エビス産業に対し、右二銘柄の生産と出荷の停止を指示するとともに、顛末書の提出をも求めた(尤も同社では同月九日より自主的に前記銘柄の生産と出荷を停止していた。)。その後同月一九日には他の事故原因とみられる配合飼料メーカーである林兼産業にも同様に顛末書の提出などを求めた。

(二) 福岡肥飼検は同月一九日に東急エビス産業に係官を派遣し、立入調査をするとともに、林兼産業飼料部製造課長からも事情を聴取した後、同月二二日被告カネミの事前了解を得て(元来食品製造業者である被告カネミは農林省の監督を受けず、立入調査についての法律上の根拠がなかつた。)、飼料課長矢幅雄二と同課係員水崎好成の二名が右被告本社工場に立入調査を行つた。

矢幅課長らは先づダーク油の出荷状況等について説明を求め、ついでライスオイルの製造工程図の提示を受け、ダーク油の生成される工程までは現実の装置につき説明を受けたけれども、ダーク油分離後の工程についてはとおり一遍の説明を受けたに止まり、まして脱臭工程でカネクロールを使用していること、脱臭工程でできるあわ油や飛沫油をダーク油に混ぜることや過去原料や装置に異常な事態があつた等事故に結びつくようなことについては何らの説明もなかつた。

その上、ダーク油は本来飼料に配分する物質として農林大臣から指定されたものではなかつたため、矢幅課長らに何らの予備知識もなく、また食油製造工場の立入調査も始めての経験である上、被告カネミとしては事件の原因がダーク油とは思えないというような態度で、調査に必ずしも協力的ではなかつた事情も加わつて、矢幅課長らはダーク油およびその中間製品を収去しただけで、事件の原因究明の手懸かりになるような何らの心証も得られないまま立入調査を終えた。

もつとも、右立入調査の際、矢幅飼料課長は、ダーク油には問題があるようであるがライスオイルは大丈夫なのかの質問を発したところ、被告カネミの代表取締役である被告加藤より、ライスオイルはそのまま飲むことができ、自分も飲んでいるが何の異常もなく大丈夫である旨回答を得て、以後ライスオイルについては特に関心を示すことなく終つた。

なお、当時ライスオイルによる人の健康被害については何らの情報もなかつた。

(三) 右立入調査後の同月二五日、福岡肥飼検は農林省本省の指示により同省家畜衛試に対し、関係配合飼料やダーク油をそえて再現試験および原因物質の究明を目的とした病性鑑定を依頼した。

なお同日福岡肥飼検は、本省に被告カネミの立入調査の内容を報告するとともに、すでに新たな病鶏がでる情勢ではなくなつていたので、本省より前記飼料メーカーの製品の任意保管の解除、ダーク油を添加しないことを条件とする飼料の生産再開について了解を受けた。

(四) 右家畜衛試では小華和忠が中心となり、同年四月一七日以後四週間にわたり中雛を使用し、製造月日が二月一五日に近い鑑定材料(事故の原因になつたと思われる飼料)について中毒の再現試験を行つた。その結果右鑑定材料のすべてについて毒性が再現され、またその臨床症状は九州地方において発生した中毒症状にきわめて良く類似し、食欲減退、活力低下、翼の下垂、ついで腹水、食欲廃絶、嗜眠などが認められ、さらに剖検所見も同様九州地方において発生した中毒鶏のそれに類似し、心のう水及び腹水の著増、胸腹部皮下の膠様化、出血、上頚部皮下の出血などが認められた。以上により家畜衛試は同年六月一四日福岡肥飼検に対し病性鑑定回答を提出したが、同書面によると、右鑑定材料及びダーク油に毒性があり、ニワトリヒナに対して致死的作用のあることを確認するとともにダーク油事件は配合飼料製造に使用したダーク油に原因するものと思われること、ダーク油の発光分析の結果鉛、砒素、マンガン、カドミウム、銀、スズが検出されなかつたこと、シュミットルらの報告によると本中毒と極めて良く類似したニワトリの中毒がアメリカのジョージア、アラバマ、ノースカロライナ及びミシシッピー州に一九五七年に発生しているが、この毒成分の本態が非水溶性、耐熱性の成分であることのみは明らかにされていること、本病鑑例の毒成分とアメリカで発生した中毒成分とが全く同一であるかどうかは不明であること、油脂製造工程中の無機性有毒化合物の混入は一応否定されるので、油脂そのものの変質による中毒と考察されることなどが記載されていた。

(五) その後農林省畜産局流通飼料課では、ダーク油事件の中毒の原因追究とこれまで規格の定めのなかつた飼料に配合する油脂につき規格を設定する必要があるかどうかの検討も目的として油脂の専門家などを集めて油脂研究会を開くこととし、同年八月にその第一回会合が開催された。右研究会には農林省の試験研究機関である食糧研究所、東海区水産研究所、家畜衛試、東京肥飼検等より係官が参加したが、その席で前記家畜衛試の回答についても議論がなされ、「油脂の変敗」がその原因ではないらしいということになり、前記シュミットルらの報告にあるアメリカの鶏の中毒症状(チックエディマ病)と症状が似ていることなどから、衛生試験場でチックエディマの検査法により原因究明にあたることとなつた。その後油脂研究会は月一同づつ開かれ、チックエディマ病についてアメリカの学者を招いて講演を聴くなどしたが、結局ダーク油事件の原因究明にまでは至らなかつた。

(六) ところで配合飼料メーカーである東急エビス産業中央研究所では、昭和四三年三月一一日の段階で被告カネミのダーク油が鶏の大量へい死事故の原因であるという疑いをもち、早速ダーク油が原因物質であるかどうかの確定とそのダーク油中の毒成分について研究を始めた。そして文献調査により、右鶏の症状が前記チックエディマ病に類似していること、右事故の原因物質(チックエディマファクター)が有機塩素化合物であることを知り、同年五月ころよりダーク油についてその原因物質をAOAC(アメリカ分析化学会の出している公定分析法)のチックエディマ検出法(生物試験法と化学分析法)により分析し始め、その結果ダーク油についてチックエディマファクターの存在は確かめられた。

しかしながら、チックエディマファクターはPCBのみではなく、これを含む一〇種類以上の毒物であつて、結局同研究所もダーク油事件の原因物質がPCBと確認できたのはライスオイルにPCBが混入していることが判明した後であつた。

(七) なお本件油症事件が発覚した後になつて、家畜衛試はダーク油事件の原因も油症事件と同様に、カネクロールという商品名で販売されているPCBがダーク油に混入したためである旨の発表を行うに至つた。

(八) ところで本件油症事件発覚以前に、農林省より食品衛生行政当局(厚生省ないし被告北九州市食品衛生担当機関)に対し、右ダーク油事件発生についての連絡は何らなされていなかつた。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証人矢幅雄二の証言の一部は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3ダーク油事件発生当時カネクロールで汚染されたライスオイルはすでに被告カネミから出荷されており、ライスオイルによる人体被害発生の危険が差し迫つていたということができる。

そこで原告ら主張の公務員がダーク油事件に関連して右危険を予測できたか否かにつき検討する。

(一) 福岡肥飼検の公務員

農林行政は本来農林畜産業の改良発達や国民食糧の安定的供給を図ることを目的とするものであり、また肥飼検は農林省の付属機関として一肥料並びに飼料及び飼料添加物の検査、飼料及び飼料添加物について指定検査機関が行う検定の指導監督」を任務とするものであるから、担当公務員としては右目的に添つて、その職務上の知識、能力に基づき、職務を忠実に遂行していくべきことが要求されることはもちろんであるところ、本件においては肥飼検の係官らはダーク油事件の原因究明とその被害拡大防止を第一に考えていたことはその職務の内容や前認定の同係官らの行つた措置からみて明らかなところである。そして同係官らがダーク油につき何らの予備知識もなく、食油製造工場の調査など初めての経験であつたことなどの事情から、被告カネミの立入調査によつては、その本来の目的であるダーク油事件の原因解明の手懸かりを得ることさえできなかつたものである。

原告らは、ダーク油とライスオイルは同一原料から同一製造工程を経て製造されるものであるから、前者に有害性の疑いがあれば、後者の安全性にも一応の疑いをもつのは当然の常識に属し、食油製造につき格別の知識を有していない肥飼検の係官も被告カネミの立入調査によつて毒性の疑いのあるダーク油はライスオイル製造工程中でできる副成物であることは理解したのであるから、ライスオイルの危険性も予見できた筈であると主張する。

原告らの右主張は、食品衛生行政を担当しない肥飼検の係官にも、食品の安全性につき食品衛生行政担当官と同様の注意義務があることを前提としているものと解される。

特定の食品の安全確保のため、これを本来の職務とする厚生省当局と食品の生産流通を職務とする農林省当局が有機的連携を保つて職務を行う必要のあることもないわけではなく、このような場合には、少なくとも連携の目的である特定の食品の安全性の確保については両当局はあたかも一個の行政当局と同視しても差支えがなく、この範囲の事項については両当局所属の公務員は同一の職務を行うものとして同一の注意が要求されるものと解するのが相当な場合もあろうが、しかし右のような特別な場合の外、公務員に自己本来の職務の範囲外の事項についてまで本来の職務におけると同様の注意義務を課することはできないものと解すべきである。

しかしながら、食品の安全性を職務としない農林省の係官が自己の職務を独自に執行中であつても、その過程で食品の安全性につき充分な疑いがあり、緊急に食品衛生法上の何らかの措置がとられなければ深刻な被害が発生することが予測され、食品衛生行政当局がこれに気付いていないと思われるような場合には、これを同当局に通報して被害の発生を防止すべき義務があるものと解される。

けだし公務員は民間人と異り一般的に公共の福祉のため奉仕する義務があるし、また右の程度の義務を課したとしても甚だしい負担となるものではないからである。

そこで右観点から本件をみるに、ダーク油とライスオイルは同一原料から同一製造工程で製造されるものであるから、前者に有害性の疑いがあれば後者の安全性にも一応の疑いをもつのは当然の常識に属するというのは原告ら主張のとおりであり、現に立入調査の際矢幅課長らが被告カネミの社長である被告加藤に対して「ライスオイルは大丈夫か。」と質問したのは右のような一般常識からもつた疑問によるものであつたと推認して差支えない。

しかしながら、右疑問の根拠が右の程度の常識から出たものにすぎない上、右に関する問答は被告加藤の「大丈夫。」との返事で終つてしまつている事実、当時ライスオイルによる被害の情報は未だ全くなかつた事実、同課長らの職務の内容や食油製造に関する知識の程度も併せ考えなお、元来食品の精製工程というのは不純物を除去する工程であつて、ダーク油は本来工程途中で除去される不純物であるから、これが有害物を含んでいても精製物であるライスオイルにはこれが除去されていると考えるのもまた一応の常識といつて差支えないこと等に照せば、同課長らのもつたライスオイルの安全性に関する疑問は甚だしく漠然としたものであつたとみるのが相当であり、前記被告加藤の返事が「現に自分も飲んでいて何ともないから大丈夫。」という一応の理由に基くものであつたから、これをもつて解消したものとみることができ、仮にそうではないとしても、右の程度の疑問をもつてこれを食品衛生行政担当官に通報すべきライスオイルの安全性に対する充分な疑いとすることはできない。

(二) 農林省畜産局の公務員

農林省畜産局が福岡肥飼検からダーク油への疑いや立入検査の結果などにつき逐一報告を受けていたことはさきに認定したところであるが、同局の係官がライスオイルの製造工程などにつき福岡肥飼検の係官以上の知識を有していたことを認めるに足りる証拠はなく、同局の係官も右報告を受けた段階でライスオイルの危険性を気付いたものとは認め難い。

(三) 家畜衛試の公務員

家畜衛試は昭和四三年三月二五日付で福岡肥飼検より病性鑑定の依頼を受け、再現試験等を行つた後、同年六月一四日、右事故の原因がダーク油にあると確定するとともに、「油脂そのものの変質による中毒と考察される。」旨の回答を出したこと、右回答が結果的に誤つたものであつたことはいずれも前記のとおりである。

なるほど右回答中ダーク油の毒性の本態に関する結論部分は、無機性有毒化合物の混入が一応否定されるというだけで、直ちに油脂そのものの変質による中毒と考察される旨の結論を導きだしており、その間には論理の飛躍があることが明らかなところである。

そして、右回答は、民間の一企業にすぎない東急エビス産業の研究所が本件病鶏の病像がアメリカで発生したチックエディマ病のそれに類似することに着目し、右に関する文献を調査して本件飼料の中にチックエディマ病と同じ原因物質が存在することを確かめた研究成果(チックエディマ病の原因物質である一〇数種類の物質の中にはPCBも含まれていたのであるから、右研究は正しい方向に向いていたといえる。)に比すれば劣るものであつたといわざるを得ない。

しかしながら損害賠償事件における過失の有無は、当該過失がなければ結果の発生ないし損害拡大防止の措置をとることができたか否かによつて決すべきであるところ、カネクロールで汚染されたライスオイルは昭和四三年二月五日ごろから数日あるいは一〇数日の間に出荷され、原告らを含む油症患者はこれを購入して日々の調理に利用して少量づつ摂取し、カネクロールが排泄され難いため徐々に体内に蓄積されて発病したものであることはすでに認定したとおりであり、〈証拠〉によれば、油症の症状は早いもので同年三月ごろから通常は六月から八月にかけて発生したことが認められるので、本件の場合おそくとも昭和四三年八月ごろまでに何らかの措置がとられなければ油症の発症はもちろん被害の拡大さえ阻止し得なかつたものと認められることを考慮し、なお、〈証拠〉を総合して認められる、油症事件が発生し九州大学教授を中心とする多数の専門家によつて構成された油症研究班の精力的な努力にも拘らず、ライスオイル中の毒物が何であるかは容易に判明せず、PCBと判明したのは熊本の製油業者からカネクロールではないかとの示唆があつたことがきつかけであつた事実と対比すれば、家畜衛試が数カ月のうちに正しい結論を出すことができなかつたことをもつて過失というのは余りにも酷といわねばならない。

なお、ダーク油の毒性が油脂の変質であるとした前記家畜衛試の回答がダーク油事件の解明ないし油症発生の予測に悪影響まで及ぼしたことを認めるに足りる証拠はない。

(四) 厚生省(食品衛生行政担当)の公務員

(1) 原告らは食品の安全確保のため厚生省当局と農林省当局が連携をとつて職務を行うことが必要であり、両当局が一個の行政機関と同様にみなされるから、農林省係官がライスオイルの危険性を予見可能である以上、当然に厚生当局も予見可能であると主張する。

なるほど原告ら主張のような連携の必要な場合のあり得ること、この場合には両当局が同一の行政目的を達するため連携して職務を行つているのであるから、法的に一個の行政機関が成立したものとみることも不可能ではないことは前述のとおりではあるが、しかしそれは連携の原因である特定の行政目的の範囲の事項に限られることも前述のとおりである。

そしてダーク油事件は鶏の奇病事故であるから畜産業を管掌する農林省がその処理にあたつたことは前認定のとおり、当然のことでもある。

なお、奇病にかかりながらへい死にまで至らなかつた鶏の肉が食品市場に出廻つて消費者の口に入らないようにするため、農林、厚生両当局が連携して職務を行つたことを認めるに足りる証拠はないが、しかし仮にその必要性があつたとしても、それは右の目的に限られ、連携の必要性がライスオイルの安全性の確保にまで及ぶものではなく、したがつてこのことから農林省係官のライスオイルの危険性についての予見可能性をそのまま厚生当局の予見可能性に結びつけることはできない。

原告らの主張は結局採用できない。

(2) 原告らは食品衛生行政担当官は、食品事故に関する情報探知義務があり、法令に定める被告カネミの年一二回の監視義務があるので、これらの義務を尽していれば農林省からの通報がなくてもダーク油事件を知ることができ、独自の調査をすることなどによつてライスオイルの危険性を予測することが可能であつた旨主張する。

ところで、食品衛生行政担当官のうちダーク油事件の情報からライスオイルの危険性を予見できる立場にあるのは、被告カネミの営業許可の際現地調査にあたり、また日常監視業務にあたつていて被告カネミのライスオイル製造につき最も深い知識を有していたであろうと思われる被告北九州市の食品衛生監視員以外考えることはできない。

そして、右監視員はライスオイルの製造工程についてはノルマルヘキサン等の添加物の使用状況を監視する程度で(〈証拠〉によればライスオイル製造工程については概括的知識だけしかなく、脱臭工程の詳細は知らず、またその製造工程でダーク油が副成されることも知らなかつたことが認められる。)、監視の重点はライスオイルをびん詰にする際の異物混入、細菌汚染の可能性がないかどうかであり、従来食油は安全性の高い食品と考えられており、被告カネミが営業許可業種であつたのは製品をびん詰にして出荷するためであつたことからすれば、日常の監視が右の程度であつても違法といえないことはすでに述べたとおりである。

そこで右原告らの主張については右の点を前提に判断を進める。

先づ食品衛生行政担当官が食品衛生に関する情報を早期に探知収集し、食品による事故を予防し、被害の拡大を防止するため早期に対策を講ずる一般的義務のあることは原告ら主張のとおりであろう。

しかしながら、本件の場合、被告カネミのライスオイル製造工程につき最も詳しい食品衛生監視員の知識が前記の程度であつたことからみると、ダーク油事件についての新聞報道に接しただけで(最も詳細な報道と思われる昭和四三年五月一四日付の日本経済新聞にさえ問題のダーク油の製造元は小倉北区のK社としか記載しておらず、ダーク油がライスオイルの副成物であるとの記載もない。)、ダーク油事件に関心をもち、このことから直ちに或いは被告カネミを調査してライスォイルの危険性にまで思い至つたものとは到底いえないところである。

つぎに食品衛生監視員が被告カネミを法令の定めるとおり年一二回監視していたならば、ダーク油事件を早期に知ることができた筈であるとの原告らの主張も、福岡肥飼検の立入調査の日である昭和四三年三月二二日に監視に赴いていればともかく、その他の日に監視に赴いたとしてもダーク油事件を認知し得たとさえ認め難いところである。

敍上の次第であつて、ダーク油事件発生にあたつて、ライスオイルの危険性につき、右事件の直接の処理にあたつた農林行政当局がこれを充分予見することができなかつたため食品衛生行政当局に通報しなかつたことも、食品衛生行政当局が独自に予見することができなかつたことも、ともにこれを過失視することができないので、食品衛生法二二条所定の各種の権限が行使されなかつたこともやむを得なかつたことといわざるを得ない。

四よつて、被告国には、本件油症事件について国家賠償法一条に基づく賠償責任はないというべきである。

第九  被告北九州市の責任

被告北九州市の責任として原告らが主張するものは国家賠償法三条一項の費用負担者の責任であり、したがつて被告国に同法一条の責任が存することを前提とするものであるところ、既に前記のとおり被告国の責任は否定されたのであるから、被告北九州市にも責任がないことはいうまでもないところである。

第一〇  被告ら相互間の責任関係

以上によれば、被告カネミ、同鐘化について民法七〇九条により、同加藤については同法七一五条二項により、それぞれ原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任があるというべきである。

被告鐘化は、仮に同被告に何らかの責任があつたとしても、同被告の本件事故に対する寄与の程度はあまりにも微少であるから、正義、衡平の観点から同被告について責任の分割、減縮を認めるべきである旨主張する。

なるほど前記のとおり、本件油症事件は被告カネミの食品製造販売業者として通常考えられない重過失(工作ミス説によれば安易にカネクロールが「飛ぶ」と考え、再脱臭しただけで出荷した過失、ピンホール説によれば前記ピンホールの生成に関する過失及びカネクロールが食用油中に混入したことを知り又は知りうべきであつた過失)により生じたものであり、その意味で右油症事件で第一に責められるべきは被告カネミであることは論をまたないところである。しかし、そもそも本件事故の遠因となつたのは、被告鐘化が毒性についての明確な調査研究をつくさないまま、食品業界にカネクロールを販売したことにあるのであり、しかも被告カネミに前記のようなカネクロールの使用について安易な取扱いをさせたのは、被告鐘化が充分に右カネクロールの性質を需要者に周知徹底させなかつたことによるものであり、これらの事情を考えれば、右被告の本件事故に対する寄与の程度は決して小さいものだと言うことはできない。したがつて同被告に本件事故より生じた後記損害全部を負担させても、著しく正義、衡平に反するとは言い得ないものである。被告鐘化の右主張は理由がない。

よつて右被告三名は相互に連帯して(不真正連帯債務)、原告らが被つた後記損害を賠償する義務を負うものである。

第一一  損害総論

〈証拠〉を総合し、弁論の全趣旨をも併せるとつぎの事実を認めることができる。

一  油症の病像について

1油症とはカネクロール(PCBおよびその誘導体)の混入したカネミ油を直接経口摂取し、または経口摂取した母親から胎盤または母乳を通じて取り入れたことによつて生じた中毒症状であり、患者は西日本を中心に三一都府県に分布し、昭和四三年の発症以来昭和五三年一二月三一日までに油症と認定された患者は一、六八四名に上り、その後も毎年若干名の新認定患者が出て今日に至つている。

その病像の詳細は後述のとおりであるが、総じていえば、油症に特異な皮膚粘膜症状、非特異的な内科的症状、末梢神経症状その他全身に及ぶ多彩な症状で、病理機序の明らかでないものはもちろん、中には自覚的愁訴にかかわらず、他覚的所見のない症状まで含み、以上の症状はすべて患者に共通というわけではなく、したがつて患者の愁訴が果して油症によるものかどうか問題の残るものまである極めて特徴的な疾病である。

2西日本地区を中心に広範囲にわたり多数の患者の発生が伝えられ始めた昭和四三年一〇月ごろ、厚生省が中心になり、九州大学医学部関係者を中心として組織された油症(このころ本症が油症と命名された。)治療研究班や長崎大学医学部関係者を中心として組織された油症調査研究班などが主として油症の認定、治療、研究を行つて来たが、本症が人類の初めて経験した疾病であり病像が必ずしも明らかでないところから、油症治療研究班は昭和四三年一〇月一九日診断基準を発表し、これに基いて患者であるかどうかの認定を行つていたところ、これがその後二回改訂されて現在に及んでいる。

すなわち、昭和四三年一〇月ごろは患者の皮膚、粘膜症状等本症に特異な他覚的臨床症状が著しかつたものの、臨床検査値の特徴等が明らかでなかつたため、診断基準は右症状を中心としたつぎのようなものであつた。

「油症」診断基準

ところがその後時の経過にしたがつて、皮膚粘膜症状に軽快の傾向がみられ、それまで右症状の影にかくれて余り注意をひかなかつた全身倦怠感、頭痛、腹痛、手足のしびれ感等の非特異的全身症状が前面に現われ始め、他方血中PCBの定最定性の方法が確立され、患者の血中PCB濃度が健常者のそれに比して有意に高いこと(環境汚染のため健常者の血中からもPCBが検出された。)、また、患者の血中PCBの性状が健常者のそれと異ること(ガスクロマトグラフに現れたパターンの示すピークの形状が健常者のものと区別できないものをC、これと明らかに異り油症患者に特有なものをA――これは健常者の血中に含まれるPCBにはカネクロール三〇〇、四〇〇等の低塩素化物が多いのに、油症患者のそれにはカネクロール五〇〇、六〇〇、七〇〇等の高塩素化物等が多いためと考えられる。――その中間をBとし、更にBとCの中間のものをBC、AとBの中間のものをAB、BAとされた。)が判明し、油症治療研究班は昭和四七年一〇月二六日これらの事項を盛り込んだ診断基準をつぎのように改訂した。

油症診断基準 (昭和47年10月26日改訂)

ところが油症治療研究班が昭和五一年六月一四日補遺として発表した診断基準はつぎのようなものである。

油症診断基準(昭和51年6月14日補遺)油症治療研究班

これによれば、皮膚粘膜症状および血中PCBの性状および濃度を重要な所見としたのに対し、全身症状等は参考所見とされ、昭和四七年の改訂の際、皮膚粘膜症状と同等に取扱われていた全身症状等の比重が相対的に低いものになつた。

以上のように診断基準上皮膚粘膜症状以外の全身症状等の取扱いが変遷を重ねたのは、それが油症に特異な症状でないため当初は注意をひくことはなかつたが、その後これを無視し得ないようになり(昭和四七年の改訂)、更に症状の重症度は患者の体内に保有する毒物の多寡に比例するという中毒学の原則があり、本症もその例外ではないと思われ、現に患者の皮膚症状、血清中性脂肪値等他覚的にも確認できるものは血中PCB濃度および性状と正の相関関係のあることが判明しているのに、全身症状等は血中PCB濃度や性状と全く相関関係にないものが多く、患者の個体差を考慮に入れても、なお、右原則に余りにも合致しないけれども、他方油症の病理機序が未だ充分解明されておらず、患者の愁訴率が健常者に比して高いこれらの症状とPCB摂取との因果関係を否定するに足りる医学的根拠もないためであると考えられる。

3ところで、油症についての医学的研究が未だ充分の成果を挙げておらず、未知の領域も広いとはいえ、すでに発症以来一三年余を経過し、その輪郭は次第に明らかになりつつあるといえる。

(一) 先づ、油症は不可逆的な器質的変化を伴わない(ただし末梢神経症状はその器質的変化に伴うものと考えられてはいるが、右変化は不可逆的なものとは考えられていないことは後に述べる。)脂質代謝異常および薬物代謝異常(後記の酵素誘導)を中心とする可逆的な生体の機能的変化による疾病(ただし後記の痤瘡様皮疹の化膿による瘢痕を例外とする。)であるということである。

(二) つぎに、経口摂取されたPCBは先づ小腸から吸収され、肝臓を通り、一部は肝臓に残るが大部分は血液に混入して全身をまわり、脂溶性があるため脂肪の多い脂肪組織、皮膚、副腎、腸等の組織に溶け込む。

PCBは安定性が強いため容易に排泄されないが、しかし、皮脂腺、粘膜等から直接、または糞に混つて徐々に体外に自然排泄される。

排泄の速度はPCBの異性体中塩素数の少ないものほど速く、塩素数の多いカネクロール五〇〇、六〇〇、七〇〇などの排泄が遅い。

前述患者の血中PCB濃度の定量が可能になつたのは発症後四年経過した昭和四七年ごろからで、当時の患者のPCB濃度は平均七ppbで健常者の平均のおよそ二倍であつた(ただし患者もカネミ油の摂取量の違いによつてPCB濃度に違いがあり、当時測定された患者の最高は四七ppbであつたが、健常者並みの三ppb程度のものも少なくなかつた。)。

そしてこれらの患者は油症発症当時の昭和四三年ごろは七〇〇ないし七〇ppb位はあつたものが、昭和四七年ごろには前記の程度まで下つたものと推定されており、その後も更に排泄が続くことによつて濃度は下つているものと思われる。

(三) 発症後一三年を経過した現在、患者の体内からPCBが排泄されて血中PCB濃度が下り健常者と大差がなくなつている筈であるのに、なお症状が残つているものとみざるを得ず、毒性の強い高塩素化物ほど排泄が緩慢であるので、現在も患者の体内に残つているのはこれらのPCBであるといわれているが、それでもなお前記現象の説明が困難であり、患者の体内にはPCB以外の毒物が残つているのではないかが問題とされていた。

果して近年カネクロール混入のカネミ油からPCBの誘導体であるポリ塩素クォーターフェニール(PCQ――毒性はPCBと同等といわれている。)とポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF――毒性はPCBの約一〇〇倍といわれている。)が検出され、また患者の血液にPCQが最高PCBの二分の一程度存在することが検出され、PCDFは未だ検出されてはいないが、PCBの一〇〇分の一程度は存在するものと推定されており、この点が血中にそのような物質のほとんど検出されない健常者との間の大きな差異であり(これら物質は最初からカネクロール四〇〇に微量存在するものであるが、カネミ油精製の際加熱されるため更に生成され、また蒸散し難いため高濃度になつたものと考えられている。)、PCBが排泄されて健常者と大差がなくなつている油症患者になお健常者と異る症状が残る理由は以上のことから説明できるものと考えられる。

しかしながらPCQもPCDFも程度の差はあれ自然に排泄されるものであることはPCBと同様であるから、患者の血中からこれら物質が検出されたとしても、油症の病像ないし予後がこれによつて変るものではない。

4中毒症状というのは、それが生体に器質的変化をもたらすものではない限り体中の毒物が減少すれば、これに応じて軽快するものであるというのが定説である。

患者の皮膚粘膜症状や血清中性脂肪値その他の検査値が経時的に軽快の方向に向つているのはこのことを示すものである。

したがつて油症の根治療法としてはPCBとその誘導体の体外排泄を促進する方法以外にはなく、これまで絶食療法や薬物療法が試みられたが、何れも決定的な効果を発揮したものはなく、今後も特効薬等が開発される可能性が強いとはいえない。

他方PCBは高塩素化物ほど安定性が強く、排泄は緩慢であり、これまでの経過からみて、今後も排泄は続いて行くものとは予測されるが、それが健常者並みの濃度になり症状が消失するまで今後どの程度の時間を要するかは必ずしも明らかではない。

しかしながら、油症は本来可逆的疾病であることは前述のとおりであり、発症後一三年の経過によつて皮膚粘膜症状が軽快して来ていることは確かであるから、体内に保有するPCBと相関関係がないといわれる頭痛、全身倦怠感等の全身症状も、それが油症の症状であるとすれば、何時の日にかは治癒するものと思われる。

二  症状各論

1皮膚症状について

油症患者に最も初めに、しかも他の疾病に類のない特異的症状として現れたのは皮膚症状であり、診断基準上も最も重視されたものであつた。

(一) その症状である痤瘡様皮疹とは全身特に顔、胸、背中、外陰部等に発生する帽針頭大から碗豆大の面皰様皮疹で、症状が進めば皮下に膿様のものが袋の形になる嚢胞を形成し、色は蒼白から麦わら色であるが、その頂点が黒く変色することもあり、押すと中から悪臭のあるチーズ状のものが出て来る。

そして患者は感染に対する抵抗力が弱つていることから容易に化膿し、しかも薬物が効き難いためなかなか軽快せず、疼痛を伴うためしばしば切開を要し、あとにはみにくい瘢痕が残ることがある。

そして、皮疹はつぎつぎに発生するため同じ場所にあらゆる段階の症状のものがみられ、化膿しなくても一見甚しく汚い皮膚の状態になる。

なお、右症状の軽度なものは黒い点状の面皰のようなもので、これを押すと、中から棒状の小塊がでて来る。また、小児は毛孔が黒く著明化するにとどまることが多い。

皮膚症状のある者に皮膚の乾燥の傾向が強く、また脱毛を訴える者もある。

一般に皮膚症状の重症度と血中PCB濃度および性状との間には明らかな相関関係がみられる。

右皮膚症状の発生機序は、体内に入つたPCBは皮下脂肪組織に多く分布し、これが毛孔の部分にある皮脂腺から排泄される結果、脂質代謝が変化し、角化した皮膚がつまるためと考えられている。

(二) 患者中には手掌、足のうらの発汗過多の認められる者や耳垢が増加し、中には耳の閉塞感やそのための一過性の難聴を訴える者もあつた。

これらも本質的には皮疹の場合と同様、PCBの排泄により、皮膚の角化が進んだため汗腺が圧迫され発汗が抑えられたための補完作用や外耳腺の分泌が促進されたためと説明されている。

(三) 体全体特に鼻の両側、口唇、歯肉、爪等に黒褐色の色素沈着がみられ、爪全体が黒ずんで見え、また爪の扁平化や足の爪が変形し肉に喰い込み、痛みのため、爪をはぎとる必要のある場合もある。

(四) 患者の中には右皮膚症状特に痤瘡様皮疹のため苦しめられる者が多かつたが、軽症者は昭和四七年ごろから、重症者も昭和四九年ごろから症状が軽快し始め、現在まで症状の残つている者は少なく、ただあせも様湿疹などの後遺症的なものが残つている程度である。

他の皮膚症状も軽快しつつあることはこれと同様である。

2眼症状について

発症当初の特異症状のうち著明であつたのは、前記皮膚症状の外粘膜症状を主とした眼症状であつた。

それは眼脂がひどく、朝起きたときなど眼脂のため眼があかない程の患者が多かつたことである。

眼脂は眼瞼の縁にあるマイボーム腺から分泌されるもので、その分泌が多くなつたのはPCBという異物に対する生体の防禦作用であると考えられている。

その他、患者には眼瞼部に浮腫が認められ、押すとチーズ様分泌物がでるような者もあり、瞼結膜に充血のみられた例もあつた。

また、自覚症状として眼の異物感、熱感を訴える者が多く、一部には視力減退を訴える者があつたが、これは角膜が分泌物で覆れたための一過性の霧視ないし体力の疲労が原因でものが見えにくくなる労視と考えられた。

ところで、眼症状も患者のPCBの体外排泄に平行して軽快の傾向にある。

3全身倦怠感について

油症患者のほとんどが例外なく全身倦怠感、疲労感に悩まされ、本件原告らの約八五パーセントの者がこれを訴えている。

それは通常の生理的疲労に比し強いもので且つ長時間継続し、内科的症状のうち頭痛、腹痛とともにこれらが原因で勤労、勉学、家事等日々の生活に支障を来している者が多く、現代人の通弊といわれる疲労感、倦怠感とは質の異る症状である。

現に全身倦怠感は昭和四七年の改訂以来診断基準に収載されている。

ところで右自覚症状に対応する他覚的所見は何ら存在せず、したがつてその瀕度や重症度と血中PCB濃度、性状との間に相関関係のないところから、その病理機序については、PCBの影響による副腎皮質ホルモンのアンバランスではないかとの推論がなされている程度にとどまつている。

4頭痛と頭重感について

(一) 油症患者で頭痛ないし頭重感を訴える者が多く、昭和四七年の改訂以来診断基準に収載されており、現に原告らの約六〇パーセントを超えるものがこれを訴えている。

頭痛は油症に限らず一般に多い愁訴ではあるが、原告らのそれは瀕度が高く、長時間持続し、しかも痛みが強く、頭痛による苦痛は非常に大きいと訴える者が多い。

(二) ところで頭痛は本来脳膜に分布する三叉神経を介して感じられる末梢神経症状で、大別して頭蓋内の血管の拡張によつて起きる血管性頭痛、頭蓋内およびその周辺部の筋の緊張、収縮等によつて起きる緊張性頭痛、単なる心理的原因しか考えられない心因性頭痛に大別できるが、油症患者の頭痛は非怕動性、非発作性で、持続型である上鎮痛剤の効果が薄いという特性があることから緊張性頭痛に属し、これが油症患者であるという心的外傷による心因的要素によつて加重されたものとみられている。

(三) 頭痛患者には眼底、四肢、脳波等の神経内科的な他覚的所見がなく、また変態療法である絶食療法が頭痛に著効があつた報告のあることなどから、右頭痛は中枢神経その他に器質的変化があつて、これが要因となつたものではなく、可逆的な何らかの機能的要因から来る緊張性頭痛であるとみられている。

因みに、死亡患者の剖検の結果脳からPCBが検出されたことなどから、PCBが脳実質に侵入し、脳に何らかの器質的変化を与え、頭痛の原因もこれに関連性があるのではないかが心配されたこともあるが、もともと脳血管には血液脳関門があつて、血液中の異成分が脳細胞に侵入するのを妨害するものであることが知られており、脳細胞にPCBが入つたとしてもそれは極めて微量であつて、そのため何らかの障害の起つている証拠は未だ見出されていない。

(四) なお、頭痛ないし頭重は血中PCBの濃度、性状と相関関係がない症状であることからすれば、患者の体内からのPCBの排泄と平行して早急に改善の望みがあるとはいい難い状態にあると考えられている。

5その他の神経症状について

油症患者の中に手足のしびれ感やジンジンする感じを持つものがあり、原告らの約三四パーセントがこれを訴え、昭和四七年の改訂以来右症状は診断基準に挙げられている。

これは末梢の知覚神経の何らかの障害を疑わせる症状であり、神経腺維は脂質が多いことから、脂溶性に富むPCBが末梢神経組織に分布し、これが障害を与えている可能性が考えられた。

現に発症初期、神経組織の器質的変化を推測させる神経学的検査法である知覚伝導速度検査で軽度ではあるが伝導速度の低下の認められた例があり、このことが裏付けられた。

しかしながら、神経の器質的変化とはいつても末梢神経のそれは可逆的であつて、PCBが排泄されるにしたがつて回復に向うものと考えられており、現に前記知覚伝導速度低下の認められた例につき、その後追跡調査の結果検査値は正常に戻つていることが判明した。

6胃腸症状について

(一) 患者の訴えの中には不定の腹痛(空腹時とか食後ではなく突然起る腹痛)、下痢、悪心等の胃腸症状を訴える者があり、うち不定の腹痛は昭和四七年の改訂以来診断基準に収載されており、現に原告ら中半数以上の者がこれを訴え、中にはそのため多大な苦痛を受けていると訴える者がいる。

臨床検査の結果では胃炎、胃潰瘍等の器質的障害は認められず、ただ胃腸のぜん動亢進が進められる例があるだけであつたし、死亡患者の剖検からも腸や腸間膜に異常は認められなかつた。

これらのことから、腹痛の原因については器質的疾患によるものではないことだけは明らかであり、PCBに対する人体の生理的拒絶反応としての腸管運動の亢進によるものか、或はPCBが腸間膜から多く排泄される結果、通常行われる腸間膜の脱落の瀕度が高くなるためではないかとのいくつかの推論が試みられている程度で未だ定説をみるまでに至つていない。

(二) なお、肝臓の疾病であるポルフィリン症が腹痛を伴うものであり、PCB投与のウズラがポルフィリン症を起した動物実験の例があることから、腹痛の原因としてポルフィリン症を挙げる説がある。

しかしながら、ポルフィリン症に罹患した患者の尿からウロビリノーゲンが発見される筈であるのに、今までそのような例のないことから、右説には否定的意見が多い。

7呼吸器症状について

(一) 患者の中に「痰、咳」などの呼吸器症状のある者があり、その三ないし四〇パーセントに肺のレントゲン所見上、線状影、網状影が認められ、約五パーセントには聴診の結果喘息類似の音をきくことができる等の他覚的所見があつた。

このことは気管支ないし細気管支に何らかの炎症があるためで、慢性気管支炎類似の症状とみられている。

(二) 一般に腸で吸収された脂質の大部分は肺に達し、肺が活発な脂質代謝を行つているところから、脂溶性のPCBが肺に入り、肺の脂質代謝機能に何らかの障害を与え、痰とともに排泄されるものと考えられ、このことは痰の中からPCBが検出されたことによつて裏付けられた。

(三) ところで「痰、咳」は昭和四七年改訂以来診断基準に挙げられているところであるが、原告らの中にはその外「風邪をひき易い。」「動悸、息切れがする。」等の診断基準に収載されていない症状を訴える者がそれぞれ約二五パーセント、約一〇パーセント存在する。

右のうち前者については患者の前記のような呼吸器症状および後記油症患者の免疫グロブリン値低下の事実を併せ考えると、「風邪をひき易い。」という訴えそのものが漠然としており、且つ健常者中にも決して少くない愁訴である事実を勘案しても、なお、原告らの右愁訴とPCBとの間の因果関係を否定することができない。

また後者の原因には一般的には心疾患や肥満等の原因も考えられるけれども、一般に呼吸器症状がある場合、肺の機能に何らかの障害を来す可能性を否定できないのであるから、呼吸器症状の重い患者については、「動悸、息切れ」とPCB摂取との間の因果関係もまた否定することができない。

(四) なお、呼吸器症状と患者の血中PCB濃度、性状との間には相関関係が認められ、PCB排泄に伴い、比較的重い呼吸器症状も軽快に向つている。

また、後述のとおり免疫グロブリン値低下の傾向もそれが認められたのは昭和四五年ごろまでであつて、その後は正常に復しているものであるから、「風邪をひき易い。」傾向も経時的に好転しているものと認めるのが相当である。

8内分泌障害について

(一) 月経異常について

女性患者の中には月経異常のある者があり、昭和四七年の改訂以来診断基準に加えられている。

後記のとおり、PCBが肝臓の酵素誘導を誘発することから、これが女性ホルモンの分解を促進するためではないかとの推測も可能ではあるが、動物実験の結果ではそのような証拠はなく、PCBはむしろ女性ホルモンと協力的に働くことが明らかになり、このことから月経異常はPCBによつて女性ホルモンが増強されたため生じたホルモンバランスのくずれと考える方が合理的と思われる。

(二) 副腎皮質機能の低下について

死亡油症患者の剖検で副腎皮質の高度の萎縮がみられたことから、PCBとの関係が疑われた。

特に副腎皮質ホルモンは人体に対するストレスによる影響を緩和する作用があり、その異常は重大な結果を招きかねないところから、昭和四四年ごろ患者中副腎機能に異常の疑いのある八六例について機能検査が行われたが、予想に反してうち一例に軽度の低下が認められたにすぎなかつた。

患者の全身倦怠感の原因が副腎皮質ホルモンのアンバランスではないかとの試論のあることは前述のとおりであるが、右の外にはその後副腎皮質機能低下その他の異常を疑わせる症状の報告はなされていない。

9肝臓障害について

(一) 一般に肝臓はPCBに対して鋭敏な反応を示し、動物実験の結果では、PCBを投与したネズミはほとんど例外なく肝臓に脂肪がたまる脂肪変性というはげしい肝障害を起すことが知られていることから、油症患者については早期から肝臓に対する影響が特に慎重に調査研究された。

しかし、発症初期皮膚症状が重篤であつた患者の肝機能検査、光学顕微鏡的検査の結果では極く少数に軽度の異常がみられるものがあつたが、それも肝障害という程度ではなく、他はすべて正常値の範囲内であり、更に昭和四九年から五一年、五二年にかけて行われた肝機能検査の結果でもすべて正常値を示し、肝障害を疑わせる所見はなかつた。

(二) 他方油症患者の電子顕微鏡による肝臓生検の結果、肝細胞内の滑面小胞体が増加していることが明らかになつたが、これは肝臓の薬物代謝酵素の誘導現象(薬物(PCBを含む。)を分解する酵素が増加すること。)が起つていることを示唆するものであつた。

これは肝臓に入つて来るPCBを分解するため薬物代謝酵素が増加するという生体の適応現象にすぎず、必ずしも好ましい状態ではないが、しかしそれ自体別に病変ではないと考えられている。

(三) 前記動物実験の結果で明らかになつた肝臓の脂肪変性は大量のPCBを投与した結果と思われ、油症患者のPCBの平均摂取量とされる二グラム程度では肝臓の変化は右の程度であり、格別心配することはないとされている。

10免疫グロブリンについて

油症患者の痤瘡様皮疹が化膿し易く、風邪等の気道感染症にかかり易いと訴える者が多かつたことから、PCBに免疫抑制機能があるのではないかが疑われ、昭和四五年以降患者の血清および咳痰中の免疫グロブリンの検査が行われたところ、昭和四五年には免疫能の低下を推測させる値が出たものがあつたが、昭和四六年以降はほぼ全員が平常値に復していることが認められ、このことからすれば発症から二ないし三年の間一時的な免疫能の低下現象があり、これが前記感染に関与したと考えられた。

11関節痛について

原告らの中には四肢の関節痛を訴える者が約三六パーセントの多きに上り、昭和四五年ごろの北九州市油症治療班の報告によると、同地区の一九七名の患者の訴えた自覚症状のうち、関節痛は二二パーセントで愁訴率の高さでは高位に属するものであつた。

右症状については昭和四七年改訂の診断基準には収載されているものの、昭和五一年の改訂診断基準からは落ちている。

その理由は必ずしも明らかではないが、前記報告からみて、少なくとも昭和四五年当時は愁訴率の高い症状であつたことは明らかであり、右事実に照すと、その後愁訴率が落ち、油症診断上の意義が低下したためであつて、医学的知見の進歩によつて右症状とPCB摂取との間の因果関係が否定されるに至つたためではないものと思われる。

したがつて、原告らの訴える関節痛が油症の一症状であることを否定することはできないが、しかしながら一般に軽快に向つているものとみるべきである。

12高中性脂肪症について

油症患者の血清検査の結果中性脂肪値の著しく高い者が多いことが判明し、その程度は血中PCB濃度および性状と相関関係があり、またPCBを投与した動物実験でも高中性脂肪多発の結果が明らかにされている。

これは脂質代謝によつて元来脂肪組織に取り込まれるべき血清中の中性脂肪が、PCBによる脂質代謝の異常によつて取り込みに障害を来し、その多くが血中に遊離しているためと説明されている。

ところで高中性脂肪症はそれ自体が疾病というわけではなく、ただ心血管系疾病の原因になるのではないかを心配する向きもあるが、しかし元来中性脂肪は血中の他の脂質であるコレステロールほどの直接的原因になるものではなく、原因となり得るためには高中性脂肪症の状態が数十年単位の長期間継続が必要であるといわれているのに、油症患者の場合発症後数年間は変化はなかつた検査値も、その後下降し始め、昭和五〇年ごろにはほとんどが正常値に戻つていることが判明し、また特に油症患者に心血管系疾病が多いという報告もないところから、さほど憂慮すべき事態ではなかつたというべきである。

13油症児について

(一) 経胎盤油症児について

(1) 経胎盤油症児とは、妊娠中汚染されたカネミ油を摂取した母親から生れ、PCBが胎盤を通して移行した結果、出生のときから特異な症状を呈する油症患者であつて、出生時皮膚の色素沈着のため全身が暗褐色を呈する外(色素沈着は口唇、口腔蓋、眼瞼粘膜にも顕著であり、皮膚の乾燥と落屑がみられる。)歯肉が異常に肥大して凹凸状態を呈し、在胎週数に比して体重の小さい特異な状態であり、いわゆる「黒い赤ちゃん」として世間で騒がれ、PCB中毒が世代を超えて発症するものとして母親を極度に不安に陥れた。

(2) しかしながら、その後の経過観察によると、色素沈着は生後二ないし三ケ月で消褪し、成長の抑制は数年間は続くけれども、その後成長が早まつて健常児に追いつき、昭和五〇年の長崎県五島地区での保健所の行う三歳児の健診の結果では、女児の身長、体重に依然成長、発育の遅れの傾向のみられるものの、全体としては標準偏差値の範囲内に入つており、PCBによる成長抑制が永続性のものではないことを示した。

成長抑制は歯にも現われ、永久歯の生えるのが著しく遅れる例が多かつた。

しかしながら、経胎盤油症児の血中PCB濃度は母親のそれに比して著しく低く、また同一母から生れた子は、後に生れる子がさきに生れた子に比し色素沈着等の症状が少ないことが判つており、PCBの排泄のため、母親の体内のPCB量が経時的に減少していることを裏付けた。

(二) 経母乳油症児について

カネミ油を直接摂取したのではなく、授乳期に母親がカネミ油を摂取したため、PCBが母乳を通して移行したものとみられる油症患者であり、母乳中のPCB濃度が著しく高いとみられているところから、重症になるのではないかが心配された。

しかしながら、このような油症児にも成長抑制の傾向がみられたが、昭和五〇年長崎県五島地区で行われた小、中学校の健診の結果では、八ないし一〇歳の男子には未だ成長抑制の傾向はみられたものの、全体として健常児との間に有意な差は認められないまでになつていた。

(三) 油症児一般について

昭和四五年から昭和五二年にかけて長崎県五島地区で行われた諸検査の結果、心機能(心電図検査)、歯の齲蝕状況の点では異常は認められず、昭和五二年の同地区での精神衛生学的調査の結果では、社会適応性が低く、適度な攻撃性に欠けるという地域的特性が認められたが、特に油症児と健常児との間の有意の差は認められなかつた。

つぎに、昭和五二年同地区で行われた尿検査の結果、軽度ではあるが蛋白尿の出現の瀕度が高く、腎臓疾患の疑いを否定できなかつた。

以上の事実を認めることができる。

14血清過酸化脂肪値について

〈証拠〉によると、梅田玄勝医師は油症患者の血清過酸化脂質値を測定したところ、健常者のそれと比較して有意の差がみられたという。

そして右証拠によれば、血清過酸化脂質は動脈硬化症、心臓疾患、中枢神経の老化の促進に影響を与え、発がん作用を促進させるというのであるから、事実とすれば極めて憂慮すべき現象である。

しかしながら、〈証拠〉によれば、同医師の採用した検査法はTBA法であり、これが現在一般的に用いられる検査法ではあるにしても、TBA法では測定値に血清中に含まれる他の物質であるシアール酸が影響を与えることを防止することができず、したがつてその測定値が純粋に過酸化脂質の量を表わすかどうかにつき疑問をもつ者が多いことが認められる。

また、〈証拠〉によれば、TBA値には年齢による差が無視できないといわれているところ、前記梅田医師の検査での、油症患者群、対照者群とも年齢構成が必ずしも明らかではないから、その間に差がみられたといつても、それがすべてPCBの影響のみによるものかどうか疑問の残るところといわねばならない。

以上の諸点から、梅田医師の前記指摘はそのまま採用することはできない。

15油症児に情意障害がみられたとの調査結果について

〈証拠〉によれば、昭和四九年長崎県五島地区での油症の疑いのある小児一二七名について精神、神経学的調査を行つたところ、無気力、無関心、寡言、寡動等の情意障害状態が目立ち、右状態は地域的、環境的要因を考慮してもなお特異であり、その原因はPCBの影響による間脳周辺の障害によるものではないかとの、油症児の項で述べた昭和五二年の同地区での精神衛生学的調査の結果と異る報告が存在することが認められる。

しかしながら〈証拠〉をも併せると、右調査方法は聞きとりの方法によるものであつて、被調査者の意図が調査結果に反映しないとは限らないという意味で客観性の担保がない上、右調査結果だけでその原因を間脳周辺の障害とするには資料不足とみられ、前記証拠には疑問の残るところで採用に価しない。

16どわすれ、記憶力減退等について

〈証拠〉によると、患者中には少数ではあるけれども、右のような愁訴があり、この点につき梅田玄勝医師は、それは高次神経活動の抑制による疑いがあり、患者につき内田クレペリンテストを行つたところ、休憩効果率が健常者に比し有意に落ちており、右疑いが右テストにより裏付けられたと供述する。

しかしながら、証人志田堅四郎、同田中潔の証言によれば、右テストは個人差の大きいものであるから、対照しようとする双方の群の条件は可及的に同一にすべきであり、また右テストは被検者の意欲が成績を大きく左右するものであることが認められるところ、前記梅田医師の行つたテストで右の点がどの程度配慮されたか疑問であり、梅田医師の供述は未だ採用できないところであり、また患者の「どわすれする。」等の愁訴も漠然としたものであり、また患者に高い比率の愁訴でもないから、これらを油症の一症状とする原告らの主張は採用するに足りる証拠に乏しいといわざるを得ない。

17その他の原告らの愁訴について

原告らはその他さまざまな症状を訴え、これらはすべて油症に起因するものであると主張する。

そのうち「齲歯」、「歯が浮く」、「歯が欠ける」、「歯肉が痛い」などの歯科的なものが全体の約五五パーセント、「視力低下」が約三〇パーセント、「めまい」、「立ちくらみ」が約二七パーセント、「腰痛」が約二三パーセント等原告らに共通の症状もあるが、共通性のないものも入れるとその数は更に大きなものとなる。

油症については未だ医学的解明が充分なされておらず、不明な分野の多いことを考慮に入れれば、右症状と油症との因果関係につき厳密な証明を要求することが不公平であり、酷であることは明らかである。

このような場合原告らとしては、当該症状が他の疾病に見られない特異なものであるとか、油症患者の愁訴率が健常者のそれに比して有意に高く、油症が原因という外他の明らかな要因が見出し難い等因果関係につき一応の蓋然性を立証するをもつて足りるものというべきである。

しかしながら、原告らの症状中歯科的なもののうち油症児の永久歯の萠出遅延、視力減退のうち一過性霧視の外は他の疾病にみられない油症特異な症状というわけではなく、特に油症患者に愁訴率の高いものであるかどうかにつき格別の立証はないばかりでなく、油症治療研究班の発表した油症の診断基準にも収載されていない症状であり、結局因果関係につき何らの立証もされてないものといわざるを得ない。

18死亡者について

原告らは、原告下石昇外一名の被相続人亡下石百合(昭和四九年一二月六日死亡)、原告長野正慶外一名の被相続人亡長野照子(昭和五四年六月二三日死亡)、原告中野千晴外三名の被相続人亡羽根猛(昭和五三年一〇月四日死亡)、原告小松ヒロエの被相続人亡小松ハルヨ(昭和五三年八月四日死亡)、原告稗田萬吾外六名の被相続人亡稗田キヨノ(昭和五三年一月二四日死亡)、原告掘川八枝子三名の被相続人亡掘川晃(昭和五四年九月二六日死亡)、原告中山ユキヨ外七名の被相続人亡中山稔(昭和五二年九月四日死亡)、原告牧野千代子の被相続人鞠川寿雄(昭和五二年一〇月九日死亡)、原告松本淑枝外三名の被相続人亡松本欽平(昭和五四年一月五日死亡)、原告武生君子外二名の被相続人亡武生正輝(昭和五〇年七月一三日死亡)、原告高田静子外五名の被相続人亡高田實(昭和五二年九月二〇日死亡)、原告飯塚フサ子外二名の被相続人亡中田新次郎(昭和五二年二月一三日死亡)、原告渡辺リイの被相続人亡渡辺アイ(昭和五五年六月二日死亡)らの死と同人らの油症罹患との間に因果関係があるとして生存原告らより多額の慰謝料を請求する。

しかしながら、前記死亡者中亡下石百合の死因が心臓病、亡長野照子の死因が脳血栓、亡羽根猛の死因が心臓麻痺、亡小松ハルヨ、同鞠川寿雄の死因が心不全、亡稗田キヨノの死因が急性肺炎、亡掘川晃、同中山稔の死因が肝がん、亡松本欽平の死因が肝硬変、亡武生正輝、高田實の死因が胃がん、亡中田新次郎、同渡辺アイの死因が心筋梗塞であつて、油症そのものが死因ではなかつたことは原告らの主張自体から明らかであるばかりか、油症が直接の死因ではないとしても、前記死亡者の死にどのような影響を及ぼしたかについては、その具体的内容につき全くの立証がない。

原告らの主張する因果関係の根拠というのは、油症患者が約一、六〇〇名であり、厚生省発表の人口動態統計による人口一〇万人あたりの死亡率を基礎として、右患者の割合による死亡率を計算すると69.84人となるべきところ、現実の死亡者数は八一名であつて一割以上多く、このことは油症の健康への悪影響が死亡者の死亡に何らかの関与をしたためといわざるを得ず、右関与は相当因果関係とみるべきであるというものと思われる。

しかしながら、人口動態統計は人口一〇万人あたりの死亡率であるのに、これを基礎に、その六〇分の一にも満たない約一、六〇〇人あたりの想定死亡者数を算出して、実死亡者数と比較し、その間に一割程度の差があつたからといつて、ばらつきの点からそれが果して有意の差といえるかどうか疑問といわざるを得ず、以上の点のみを根拠とする原告らの前記主張は未だ採用することができない。

第一二  損害各論

一  重症度について

原告らは油症により肉体的、精神的、社会的、経済的な損害を受け、その損害は総体として把握すべきであるところ、油症は限られた特定の部位のみではなく、全身にわたる多彩な症状である上、内科的症状の種類およびその重症度は客観的な数値として測定可能な血中PCB濃度や性状とは相関関係にないから、原告らの全体としての重症度は結局格付けすることはできず、治療法が確立されておらず、今後も長期間苦しみに耐えて行かなければならないことを理由として、損害額の多寡は被害者の年齢のみによつて格付けできるものとして、原告らの年齢に応じ、死者については二、三〇〇万円ないし三、〇〇〇万円、生存者については一、八〇〇万円ないし二、五〇〇万円を慰謝料として一括請求する。

なるほど油症が単なる皮膚粘膜症状のみではない全身にわたる多彩な症状であること、全身症状のうち内科的症状の重症度と客観的に測定可能な血中PCB濃度、性状との間に必ずしも相関関係がないものであることは原告らの主張のとおりである。

しかしながら、前記のとおり、中毒の重症度は体内の毒の量と相関関係のあることは医学上の定説であり、油症においても最も典型的症状である皮膚粘膜症状や客観的な検査値はほぼ右原則に合致するものであるし、内科的症状の種類、重症度に右原則を適用することはできないとしても、頭痛のようにその発症に患者の心理的要因の寄与の否定できないものもあるし、患者の加齢による症状の重症化も否定できない(一般的にいつて老齢者ほど愁訴も多彩で、その程度も高い。)ところであるし、また各症状毎にみてもそこには重症度の差異が認められるところであるから、原告らを重症度によつて格付けすることは決して不可能ではなく、他方、食品による健康被害を原因とする損害賠償請求事件である本件において、損害の基礎をなすものは健康被害の程度いい換えれば重症度であることは明らかである。

そこで当裁判所としては、原告らの各本人尋問の結果の外客観性の担保された各原告らの油症認定の際の検診表その他の診断書、証明書等を総合した上、原告らのPCB摂取量を反映する血中PCB濃度、性状および、原告らの訴える症状のうち典型的症状であつて患者に与えた苦痛の最も大きかつたと認められる皮膚粘膜症状を重要な要素とし、その余の症状(油症との因果関係の認められるもの)のうち原告らが検診の際訴えた内科的自覚症状(その際訴えた形跡がなくとも診断書、証明書、医師の証言による裏付けのあるもの)、検診表には記載はないが因果関係のある症状と認められる脱毛、風邪のひき易さ等、油症認定が昭和四三年、四四年等早期で、当時はなかつたもののその後発現したものと認められる内科的諸症状を勘案して原告らの重症度を重症、中症、軽症の三段階に分類する。

ところで、すでに認定したところから明らかなように、本件は人の生命維持に不可欠で安全であるべき食品中に毒物が混入して起きた広範な食品公害ともいうべき事件であつて、原告ら被害者には被害を回避する能力はなく、何らの過失の認められないこと、油症は全身に及ぶ症状であり、原告らは何れも多彩な症状に悩まされていること、本症は痤瘡様皮疹の化膿による瘢痕を除いて後遺症の残る可能性はなく、何れは全治するものといわれており、一般にPCBの体外排泄に伴い症状は軽快に向つてはいるものの、発症後一三年余を経過した現在でもなお全治してはおらず、今後もPCBの自然排泄をまつしか有効な根治療法はなく、症状が完全に消退するのが何時になるかは不明である等の事情を併せ考えると、前記重症度に応じて慰謝料の額は、

重症   九〇〇万円

中症   七〇〇万円

軽症   五〇〇万円

とする。

二  加算要素について

1前述のとおり油症は発症後一三年余経過した今も治癒したとはいい難く、何時になれば治癒するものか明らかでない事情からすれば、生存者につき被害者の年齢によつて慰謝料額に格差を認めるのが相当である。

そこでおそくとも全員に発症があつたと認められる昭和四三年一一月一日当時、

三〇歳未満すなわち昭和一三年一一月二日以降に出生した者に 六〇万円

三〇歳以上五〇歳未満すなわち大正七年一一月二日以降昭和一三年一一月一日以前に出生した者に  三〇万円を加算する。

2つぎに油症は原則として食卓を共にする家族が発症した点に特色があり、健康を害した者が出た場合本来助け合い、励まし合うべき家族間の情愛が油症発症のために薄れ、中には夫婦が反目し合うという悲惨な状態がみられる場合さえあり、これが原告らの苦痛を一層大きなものにしている。

したがつて家族発症のうち、一家の支柱とみられる者とその配偶者が共に罹患したと認められる場合はその両者につき一律に二〇万円

夫婦の一方(配偶者のいない場合を含む)と同一所帯内の幼い子供や老人が共に罹患したと認められる場合は一家の支柱と認められる者につき一律に二〇万円を加算する。

3なお、原告らの中には更に進んで離婚等の家庭の破壊や失職等の一身上、経済上の格別の損害を受けた者があり、その原因が油症罹患にあると認められる場合には一律に三〇万円を加算する。

三  原告らの個別損害について

1別紙〔七〕油症患者認定一覧表「認定に供した証拠」欄記載の各証拠によれば、原告ら油症患者は同表「発症から現在までの主な症状」欄記載の各種症状に悩まされ、同表「認定年月日」欄記載の日時に油症認定を受けたものであること、原告ら油症患者の性別、生年月日、血中PCB濃度および性状はいずれも同表該当欄記載のとおりであること、原告らのうちには油症により同表「特記事項」欄記載の一身上、経済上格別の損害を受けた者がいること、原告らのうち家族発症のため特に損害額を加算すべき者は同表該当欄記載のとおりであることがそれぞれ認められる。

2また死亡油症患者の相続関係については、

〈証拠〉によれば、下石百合は昭和四九年一二月六日死亡し、父昇、母安江がそれぞれ右百合の権利の二分の一づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、長野照子は昭和五四年六月二三日死亡し、夫正慶が右照子の権利の三分の一、子慶が同三分の二を相続したこと、

〈証拠〉によれば、羽根猛は昭和五三年一〇月四日死亡し、子の中野千晴、羽根千歳、市野曜子他一名がそれぞれ右猛の権利の四分の一づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、小松ハルヨは昭和五三年八月四日死亡し、同人の権利を子の小松ヒロエ他二名が相続したところ、同五四年五月一日に右ヒロエらで遺産分割協議が成立し、右ヒロエがハルヨの有したカネミ油症被害についての損害賠償請求権を取得することとなつたこと、

〈証拠〉によれば、稗田キヨノは昭和五三年一月二四日死亡し、子の稗田萬吾、久保田ハリエ、楢原マキヨ、稗田好行、廣木ヤス子、森イワ子、吉田タツ子がそれぞれ右キヨノの権利の七分の一づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、掘川晃は昭和五四年九月二六日死亡し、妻の掘川八枝子が右晃の権利の三分の一、子の山本富美枝、掘川晃一、掘川悟志がそれぞれ同九分の二づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、中山稔は昭和五二年九月四日死亡し、妻の中山ユキヨが右稔の権利の三分の一、子の中山百合子、恒芳、徹、篤、寛、金丸智江子他一名がそれぞれ同二一分の二づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、鞠川寿雄は昭和五二年一〇月九日死亡し、子の牧野千代子が右寿雄の権利を相続したこと、

〈証拠〉によれば、松本欽平は昭和五四年一月五日死亡し、妻の松本淑枝が右欽平の権利の三分の一、子の松本政義、芳之、広司がそれぞれ同九分の二づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、武生正輝は昭和五〇年七月一三日死亡し、妻の武生君子、子の武生直文、正文がそれぞれ右正輝の権利の三分の一づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、高田實は昭和五二年九月一〇日死亡し、妻の高田静子が右實の権利の三分の一、子の高田了一、一、青山洋子、多賀谷暢子、鯨井惠子がそれぞれ同一五分の二づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、中田新次郎は昭和五二年二月一三日死亡し、母の中田サヨが右新次郎の権利を相続したが、同サヨも同五五年七月二九日に死亡し、子の中田義行、飯塚フサ子、高橋ユキ子がそれぞれ右サヨの権利の三分の一づつを相続したこと、

〈証拠〉によれば、渡辺アイは昭和五五年六月二日死亡し、子の渡辺リイが右アイの権利を相続したこと、がそれぞれ認められる。

3以上によれば、原告ら各人の重症度認定は別紙〔七〕油症患者認定一覧表記載のとおりであり、原告らの年齢、家族発症加算の要否、格別損害による加算の要否、死亡油症患者について前記原告らの各相続分その他諸般の事情をしんしやくすれば、結局原告らの本件油症被害による慰謝料額は同表「認容金額」欄記載のとおりであるというべきである。

四  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らはいずれも別紙〔二〕原告ら訴訟代理人目録記載の各弁護士に本件訴訟の提起遂行を委任し、右代理人らが本件訴訟活動を行つてきたことが認められるところ、本件訴訟が原告三三〇名余に及ぶ集団訴訟であることや本件訴訟の難易度、立証活動の困難性、前記請求認容額その他諸般の事情を考慮すれば、原告ら各々につき、それぞれ認容した慰謝料額の約七パーセントにあたる別表「認容金額一覧表」中「弁護士費用」欄記載の各金員が本件不法行為から通常生ずべき損害というべきである。

五  遅延損害金

原告らはその請求する本件損害金に対する遅延損害金の起算日として、本件カネミ油症被害の発生した後の日である昭和四三年一一月一日を主張する。

しかしながら、原告らは本件損害金を請求するにあたつて、発症から現在までの総体としての一切の被害を基礎としていると解せられるところ、前示のとおり当裁判所も本件各慰謝料額を算定するにあたり、発症から現在に至る本件症状の変遷、多様化、長期に亘る症状の継続に伴う身体的、精神的な被害、さらに社会的、経済的影響等現在までの日時の経過による諸事情一切をしんしやくして最も新しい時点での総体としての損害を基礎としたものであるから、このような場合遅延損害金の起算日は、本件損害金算定の基準日である「最も新しい時点」すなわち本件口頭弁論終結日(これが昭和五六年四月一三日であるのは記録上明らかである。)とするのが相当である。

よつて右以前についての遅延損害金を請求する原告らの主張は失当である。

第一三  結論

以上によれば、原告らの被告カネミ、同加藤、同鐘化に対する請求は、認容金額一覧表記載の認容金額およびこれに対する弁論終結の日である昭和五六年四月一三日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、右被告らに対するその余の請求および原告らの被告国、同北九州市に対する請求はいずれも失当であるのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用として主文のとおり判決する。

(諸江田鶴雄 青栁馨 竹中邦夫)

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